元ブラジル代表主将を襲う悲劇。正直で善良なカフーの笑顔が曇った (2ページ目)

  • リカルド・セティオン●文 text by Ricardo Setyon
  • 利根川晶子●翻訳 translation by Tonegawa Akiko

「人生には、時に説明するのも難しいことが起こる。息子は私と一心同体だった。私は必死で彼を助けようとしたが、そのかいもなく、彼は私たちを残して逝ってしまった。本当に言葉では表せない苦しみだ。プロ選手として鍛えた私の身体やメンタルは強いはずなのに、それは通じない。何度優勝しようが、自分の息子を救えなければ、何の意味もない。本当に自分が無力に感じるよ」
 
 ダニーロが亡くなる少し前の2019年7月15日、私は新聞の朝刊の、こんな見出しを見つけていた。

「2002年W杯キャプテンに巨額の借金か?」

 カフーはサンパウロ市でも最も貧しい地区ジャルジン・イレニの出身だ。子供の頃はいくつかの家族とともにバラックのような家に住み、バス代がないのでどこに行くにも歩き、食事も1日1回のことが多かったという。

 だからこそ苦しんでいる子供を見過ごすことはできず、2004年、同地区に「フォンダソン・カフー(カフー基金)」という施設を設立した。地域の子供たちはここにきて食事をしたり、スポーツや音楽、パソコンの使い方などを習ったり、簡単な医療なども受けられる。また、貧困の根本を打開するため、親に職業訓練を実施したりもしていた。ブラジルで最も有名な基金であり、多くの選手がそれに続いた。カフーは新しい形のヒーローだった。

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