検索

ピャニッチは「引き算の美学」で輝き。
ユベントスが中盤の底で起用するわけ (2ページ目)

  • 西部謙司●文 text by Nishibe Kenji
  • photo by Getty Images

無料会員限定記事

 17歳でリーグアンにデビュー。メスが降格して、移籍先を探していた時にはアーセナル、チェルシー、バルセロナ、レアル・マドリード、ミラン、インテルと名だたるクラブから誘いがあった。ピャニッチは実家のあるルクセンブルクから遠くなるので移籍には乗り気ではなかったというが、2部でプレーするつもりもない。結局、同じフランスのリヨンへ移籍した。

 リヨンにはFKの名手、ジュニーニョ・ペルナンブカーノ(ブラジル)がいた。リヨンはジュニーニョの後継者としてピャニッチに期待を寄せ、09-10シーズンにはジュニーニョがつけていた背番号8を与えている。

<レジスタ>

 リヨンで3シーズン、ローマで5シーズン。ピャニッチは世界有数のMFに成長した。必殺のFKにハイレベルな技術、長短の正確なパス、ドリブル、得点感覚とオールラウンドな能力があり、セカンドトップもサイドハーフもできる。

 16年、ユベントスへの移籍はピャニッチにとって転機になった。マッシミリアーノ・アッレグリ監督は、万能のピャニッチの能力を凝縮する方針を打ち出した。ディフェンスラインの前、中盤の底に置いてレジスタ(司令塔)の役割を任せたのだ。

 イタリアにはレジスタの伝統がある。

 60年代の"グランデ・インテル"で活躍したルイス・スアレスはその代表的な選手だった。スペイン人のスアレスは、61年にバルセロナからインテルへ移籍し、1シーズン前にバルセロナからインテルへ移っていたエレニオ・エレーラ監督の下、深いポジションからのロングパスでカウンターアタックの演出家となっていた。

全文記事を読むには

こちらの記事は、無料会員限定記事です。記事全文を読むには、無料会員登録より「集英社ID」にご登録ください。登録は無料です。

無料会員についての詳細はこちら

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る