20年先を行っていたクライフの戦術。ドリームチームはこうして生まれた (6ページ目)

  • 西部謙司●文 text by Nishibe Kenji
  • photo by AFLO

 サッキはオランダの「ボール狩り」を進化させてプレッシングを考案したが、クライフはそのオランダの中心でキャプテンだったのだ。クライフはサッキが手を出せなかったトータルフットボールの攻撃部分を引き継ぎ、進化させていた。本流の面目躍如である。

 ペップは監督としてバルセロナのピークを築いたが、自身を「ラファエロの弟子」と表現していた。ルネサンスの巨匠ラファエロ・サンティは多作で、作品は工房の弟子たちが仕上げていたそうだ。「ラファエロ」はクライフ、その構想を歴代監督が完成に近づけてきた、自分もそのひとりにすぎないというペップの謙遜である。

 ペップのチームにあったものは、ほぼすべてクライフのチームにもあった。ただ、ドリームチームは過大評価されているところもある。4連覇もたいがいぎりぎりだったし、1993-94シーズンのチャンピオンズリーグ決勝は、当時最強だったミランに0-4と大敗した。

 ドリームチームの偉大さは、むしろ20年後のペップのチームによって明らかになったといえる。クライフ監督の時には実現しきれなかったものが、20年後にグアルディオラ監督の下で現実のものになった時、こういうことだったのかという衝撃があった。

 クライフは2歩先、20年先を行っていた。

ヨハン・クライフ
Johan Cruijff/1947年4月25日生まれ。オランダ・アムステルダム出身。1960年代から70年代に、アヤックスやバルセロナの中心として活躍し、オランダ代表では74年西ドイツW杯準優勝。監督してもアヤックスやバルセロナを率い、国内リーグやチャンピオンズカップなど数々のタイトル獲得をもたらした。選手としても監督としても先進的な戦術の先頭に立ち、ファンの熱狂的な支持を集めた。2016年逝去。

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