塩谷司を変えた母親と恩師の言葉「あの日から、あきらめなくなった」 (7ページ目)

  • 原田大輔●取材・文 text by Harada Daisuke
  • photo by Getty Images


 当時、コーチとして大学の練習を見てくれていた柱谷哲二に見初められ、水戸ホーリーホックで塩谷はプロのキャリアをスタートさせた。

「4年の時は、ずっと試合に出続けることができたんです。今までにない充実感を得ることができた。哲さん(柱谷)が誘ってくれるまで、プロから声はかからなかったですけど、自分の中ではやり切ったと思えたというか。

 あの2年間もちゃんとやっておけばよかったという後悔はありましたけど、自分にできることは全部やった。だから、もう二度とクサることはないだろうなって思えました」

 プロサッカー選手として一歩を踏み出すきっかけを与えてくれた柱谷には、「ラスト10分や5分といったみんなが一番苦しい時に、高い集中力とパワーを出せる選手になれ」と教えられたという。

 思い起こせば、FIFAクラブワールドカップで、レアル・マドリードを相手に一矢報いる得点を奪ったのは、試合終了間際、89分だった。

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