新国立競技場からバルサ本拠地の
大改修へ。日本企業の挑戦 (2ページ目)
「ザハ案の実施設計に携わっていたので、屋根やピッチ、ロッカールームから、メディアと選手が交わるミックスゾーンの作りに至るまで、スタジアムの設計に必要な最新の情報を、我々はすべて把握していました。FCバルセロナが世界から集めた審査員や技術アドバイザーの問いかけに、すべてその場で答えることができたのも、ついこの前までその設計をやっていたからです」
FCバルセロナ側から提案された外装では、思い切った手段に出た。どんな外装にするかと問われていたにもかかわらず、「それは不要です」と、逆に提案し返したのだった。
「私たちはコンペでは8番目の候補。失うモノはないとばかり、『外装をやめませんか』と提案しました。外装をやめる代わりに、そのお金を使って、『1階、2階、3階とすべて10メートルずつコンコースの幅を広げて、テラス風のバルコニーにしませんか』と提案しました。コンコースがもう10メートルあれば、人の流動がものすごくよくなるし、その空間でコーヒーやワインを飲んだり、食事を楽しむことができる。試合後にそこで感想をお喋りしながら休憩していけば、公共交通の混雑も緩和される。
『スタジアムの中に公園をつくりませんか』という着想です。試合がない日もこの場に年間180万人が訪れる。試合のある日は10万人がコンコースを使う。もうそれ自体が外装になっているという考え方です。『オープンなスタジアムこそがバルセロナに一番似つかわしいのではないですか』と言いました」(村尾氏)
そして亀井忠夫社長と村尾支店長は、しみじみとこう語るのだった。
「SANAAと一緒に応募した新国立競技場の案では、神宮の杜という公園と一体化したスペースをスタジアムの中に作ろうとしました。圧迫感をなくそうと屋根がヒラヒラとした薄い形状として、隙間を空けて、そこから人が出入りできるような、スタジアム周辺との関係性を生み出そうとしたのです。外と観客席、周辺環境とスタジアムの景観とが一体化して、スタジアムは外と切り離されていなくて、外側の公園から内側に、あるいは内側から外側の公園へと人が染み出していく」(村尾氏)
2 / 5