2019.09.21

遠藤保仁タイプ。70年代欧州サッカー、
忘れられない孤高の天才がいる

  • 西部謙司●文 text by Nishibe Kenji
  • photo by AFLO

 1975年、大黒柱だったネッツァーが去ったボルシアMGをリーグ優勝に導いたあと、バイスバイラーはバルセロナの監督に就任する。チームのスター選手と対立するのが恒例のような監督だったので、バルサではヨハン・クライフと衝突。1シーズンでバルサを去っているが、その間スペインでの生活面など、ネッツァーは相談に乗っていたという。ちなみに次の1FCケルンでもバイスバイラーはヴォルフガング・オヴェラートとぶつかり、このときはオヴェラートを引退させてしまった。

 のちにバイスバイラーは手記で、ネッツァー、クライフ、オヴェラートについて書いているが、クライフとオヴェラートについては「エゴイスト」という評価。いちばんぶつかり合ったネッツァーに関しては「ゴールを直撃する気持ちがあった」「チームのために100パーセントのプレーをした」と褒めていた。

孤高のアーティスト

 筆者の印象は、むしろバイスバイラーとは逆だ。もちろん、監督として間近で接した70年代きっての名将の意見に対抗しようとは思わないが、一般的にもそうではないかと思う。

 クライフはトータルフットボールの旗手としてオールラウンドなリーダーだった。オヴェラートは「怒りの芸術家」と呼ばれる気位の高さはあったが、相手のプレーメーカーをマンツーマンでマークするハードワークもできた。

 ネッツァーは飛び抜けたインテリジェンスに恵まれ、アーティステックなクリエイターではあったが、クライフやオヴェラートにあった戦闘力はあまり感じない。ある意味、周囲の献身に支えられて輝くスターであり、そこがネックになっていた気がする。

 当時の西ドイツはマンツーマンの守備だった。そこからマークを投げ捨てるように攻撃に転ずるところに新しさと強さがあったのだが、ネッツァーは誰かをマークして戦うことには不向きだった。単純にアジリティーがさほどないというフィジカル不足もあったかもしれない。