マラドーナが神だったように、いまメッシを神と仰ぎたいアルゼンチン

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki 藤田真郷●写真 photo by Fujita Masato

 ロシアW杯を前に、アルゼンチンの有力スポーツ紙「オレ」にこんな見出しが躍っている。

「レオ、今回こそ"君のW杯"であってくれ!」

 リオネル・メッシへ向けたメッセージである。それはアルゼンチン中の祈りのようなものだろう。

 一方で、アルゼンチン代表を率いるホルヘ・サンパオリ監督はこんな表現をしている。

「これだけの重圧のなか、レオのプレーはとても自然で、次元が違う。監督の責任は様々な状況に応じたチームを作ることだが、根幹は選手。レオのように特別な選手がいる場合、監督の仕事は彼が気持ちよくプレーするグループを作ることにある」

 メッシが絶対的な存在であることがわかる。そして伝説を完結させるには、W杯優勝という栄光だけが足りない。

「たったひとりでアルゼンチンを優勝させたのがディエゴ・マラドーナだ」

 そう考えるアルゼンチン人はいまだに多い。かつて「神」と言われたマラドーナを信仰するように、今度はメッシを拝みたいのだ。では、アイスランドとのW杯初戦で、メッシは神として降り立ったのか。

アイスランドに同点に追いつかれ、こわばった表情のリオネル・メッシアイスランドに同点に追いつかれ、こわばった表情のリオネル・メッシ メッシは気負いすぎているように見えた。

 その理由はアルゼンチンのチーム事情にもあったのだろう。強力な攻撃陣に比べ、後ろの守備には自信がない陣容で、背後に不安を抱える。中盤に守備的な選手を配していることもあって、有効なボールが前線に入りにくい。

 そのせいで、トップ下のメッシが中盤に下がらざるを得ず、プレーメーカーのような役割を求められた。メッシは簡単にプレスを外し、前にボールを配給して好機を演出している。ただ、敵ゴールから遠ざかることによって、フィニッシュにはなかなか絡めない。

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