本田、長友は去っても「イタリアのクラブは日本人をほしがるだろう」

  • 利根川晶子●文 text by Tonegawa Akiko photo by Giglio/Football Press

セリエA日本人選手20年の系譜(3)

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 2006年から2010年の間は、新たな日本人選手がイタリアに上陸することはなかった。しかし、その流れが再開したときに"大物"を釣り上げることになる。長友佑都だ。

2010年、FC東京からチェゼーナに移籍した長友佑都2010年、FC東京からチェゼーナに移籍した長友佑都「長友が最初に移籍したチェゼーナは、決してビッグクラブではないが、優れたサッカーの伝統があるチームだった。ここで彼はすぐに頭角を現す。直接ビッグクラブに行かず、ワンステップ置いてイタリアのサッカーに慣れたことは賢明だったね。機敏でスピーディーなプレーで彼は左サイドを支配した」

 70年代からイタリアのスポーツ紙の記者を務めてきたパオロ・フォルコリン氏はそう語る。

 イタリアのクラブがそれまで獲得した日本人選手はみな、アタッカーか中盤の選手。長友はセリエA初の日本人DFだった。そして天性のフレンドリーな人柄もあって、彼はたちまちチームに、イタリアに溶け込んでいった。

 そんな長友に注目していたビッグクラブがあった。インテルだ。インテルは獲得を決断し、長友はここで日本人選手最長の7シーズンを過ごすこととなる。出場試合数は通算171試合、ゴールは9。サイドバックの選手としては決して少ないものではないだろう。

「インテルに来ても長友は明るく陽気で、真面目で物静かで内向的という、我々の持つ日本人のイメージを一気に吹き飛ばしてくれた。ゴール後にチームメイトとお辞儀をするというパフォーマンスは一世を風靡したね。

 悪童アントニオ・カッサーノと冗談を飛ばし合い、今は副会長を務めるインテルのレジェンド、ハビエル・サネッティとも親友になった。イタリア語もとてもうまかったし、歴代の日本人の中でも、一番イタリアに溶け込んだ選手だったんじゃないかと思うよ」

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