愛された2人。中村俊輔、森本貴幸は今も南イタリアの人々の心に残る (2ページ目)

  • 利根川晶子●文 text by Tonegawa Akiko photo by Sino/Football Press

「自国開催のW杯には出場できなかったが、それでも彼の左足は素晴らしかった。レッジーナの会長リッロ・フォーティは、『どうしても彼がほしい』と、獲得にまでこぎつけたんだ」

 その目論見は大成功だった。特にデビューは鮮烈で、リーグ戦の最初の3試合は連続して得点を重ねた。

「レッジョ・カラブリアの町はこのシュンスケの活躍に狂喜した。彼は一躍町のヒーローになり、自分もサッカーを楽しみ、人々を楽しませた」

 ただし、1年目は最高の出来(36試合出場、7ゴール)だったが、その後の2年はケガにも悩まされ、中村の活躍は最初のシーズンほどではなかった。

「その後、彼はセルティックに舞台を移して活躍することになるが、多くのサポーターが彼の移籍を惜しんでいたよ。中村はレッジョ・カラブリアの人たちにとって忘れることのない選手だろう」

 中村俊輔の成功の波に乗って、翌2003年には柳沢敦がサンプドリアにやってきた。しかし日本人選手が常にイタリアサッカーと相性が合い、活躍できるわけではなかった。

「柳沢は日本で多くのタイトルを勝ち取った後にイタリアに乗り込んできたわけだが、セリエAでプレーするには、まだ機が熟してなかったようだ」

 サンプではどうにか15試合に出場したが、ゴールは全く奪うことができず、1年後にはシチリア島にあるメッシーナに移籍。しかしここでもリーグ戦ではゴールを決めることができなかった。コッパ・イタリアでは1ゴールを決めたが、4-0と圧勝した試合の3ゴール目だった。

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