メッシとスアレスが手を結び招致。南米3カ国のW杯共催は実現するか (3ページ目)

  • 沢田啓明●文 text by Sawada Hiroaki photo by Getty Images

 当初はウルグアイの方が強かった。両国は1928年のアムステルダム五輪の決勝で対戦し、1-1で引き分けた後、3日後の再試合でウルグアイが2-1で勝ち、五輪2連覇を果たした。1930年の第1回W杯決勝でも顔を合わせ、このときもウルグアイが4-2で勝って初代世界王者となった。ウルグアイは、1950年のW杯ブラジル大会でも最終戦で地元ブラジルに逆転勝ち(試合会場の名前から「マラカナンの悲劇」と呼ばれる)を収めて2度目の優勝を遂げるなど、20世紀前半までは南米最強だった。

 しかしその後、人口、経済力などで上回るアルゼンチンが次第に優勢となり、1978年に自国でW杯を開催して初優勝。1986年大会では天才マラドーナの大活躍で再び世界の頂点に立ち、W杯優勝回数でウルグアイに追いついた。

 現在までの対戦成績は、アルゼンチンが86勝44分55敗と大きく勝ち越している。それでも、ウルグアイはブラジル、アルゼンチンという南米のサッカー超大国をしばしば痛い目に遭わせており、強烈な存在感を放っている。

 2018年のロシアW杯南米予選はウルグアイが2位、アルゼンチンが3位で突破。直接対決ではアルゼンチンがホームでは1-0で勝ち、アウェーではスコアレスドローだった。

 もうひとつのパラグアイは、アルゼンチンとウルグアイに接した国で、人口と国土の面積はウルグアイの約2倍。サッカーの伝統と実績は南米では中レベルで、過去W杯に7回出場しているが、2010年南アフリカ大会の決勝トーナメント1回戦で日本を延長、PK戦の末に下してベスト8に進んだのが最高の成績だ。

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