ブンデスのビデオ判定で大論争も、「感情論」だけの反対派はグダグダ (5ページ目)

  • 山口裕平●文 text by Yamaguchi Yuhei photo by Getty Images

 判定ミスが起きれば文句を言い、正しい判定が行なわれてもひいきのチームに不利益であれば猛抗議し、ひいきのチームに有利な判定がなされてもやはり批判する。正しいか正しくないかは問題ではなく、単に気に食わないだけなのだ。何をやっても批判されるのであれば、より正しい判定が行なわれるようにするしかないだろう。
 
 確かに、ビデオ判定でより判定が正確になったことと引き換えに失われたこともある。映像を確認できないスタジアムの観客が腑に落ちないのは理解できるし、予想外のところでPKが与えられたり、思わぬ形でゴールが取り消されたりすることに慣れるのには時間が必要だろう。

 ボールがネットを揺らしてもすぐにはゴールを喜べなくなったという不満もある。だが、それはビデオ判定導入以前から、多かれ少なかれあったことだ。もともと審判をリスペクトせず、いたずらに批判を浴びせてきたことが、そんな事態を招いた一因であることを忘れてはならない。

 いまや大きなビジネスとなった現代サッカーでは1試合で何十億円、何百億円という規模のお金が動くこともあるし、ひとつのプレーが選手の人生を変えてしまうかもしれない。「たかがサッカー」と割り切るのは簡単なことではない。そうであれば、なおさらビデオ判定が必要なのではないだろうか。

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