イブラヒモビッチが完璧なのは、フィジカルの面だけではない (2ページ目)

  • サイモン・クーパー●文 text by Simon Kuper
  • 森田浩之●訳 translation by Morita Hiroyuki

 そのころ、スター選手は誰にも縛られていなかった。天才でありさえすれば、努力の必要もなかった。50年代に活躍したフェレンツ・プスカシュは太っていたし、60年代のスターであるジョージ・ベストは酒びたりだった。70年代にフットボールを変えたヨハン・クライフはチェーンスモーカーで、80年代を代表するディエゴ・マラドーナは太っていたうえにコカイン常用者だった。

 1968年以降の天才をふたりあげるとすれば、マラドーナとペレかもしれない。このふたりは、所属クラブでは凡庸なチームメイトとプレイしていた。ナポリにいたころのマラドーナは、真後ろから来るパスを巧みにトラップして自分のものにしたことも多かったが、それでも彼はボールを出したチームメイトを称えたものだ。

 彼らは毎週の試合で輝こうとはあまり思っていなかった。ペレは意味のないエキシビジョンゲームのために地球を飛び回っていた。スポーツ経済学者のステファン・シマンスキーによれば、マラドーナが全盛期にあった80年代のアルゼンチン代表は全試合の35%にしか勝っておらず、勝率は他の時代を下回っていた。マラドーナはワールドカップでは超人的なプレイをしたが、大会の合間の試合ではそれほどではなかった。

 昔のスター選手は輝こうとすると、たいていケガをした。ペレは1966年のワールドカップを負傷で棒に振った。マラドーナは1983年に、アスレチック・ビルバオのDFアンドニ・ゴイコエチェア・オラスコアガにかかとをつぶされた。1992年にはオランダの名ストライカーだったマルコ・ファン・バステンが、まだ28歳だというのに、事実上ケガのせいで引退することになった。

 スター選手の運命を変えたのはテレビだ。90年代になるまで、テレビ放映されていたフットボールの試合は数えるほどだった。ヨーロッパのファンがテレビかスタジアムかを問わず、ペレのプレイを目にしたのは彼のキャリアのうち10回くらいしかなかっただろう。

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