多国籍チームを率いる方法を身につけたアンチェロッティ (4ページ目)

  • サイモン・クーパー●文 text by Simon Kuper
  • 森田浩之●訳 translation by Morita Hiroyuki

 アンチェロッティが監督に就任したとき、パリ・サンジェルマン(PSG)はプロフェッショナルとは言い切れなかった。「PSGの仕事はいい経験だった。何か新しいものをつくらないといけない経験はなかったから。チェルシーやレアル・マドリードなら、クラブ全体もチームも組織が出来上がっている。でもPSGでは、すべてを低いレベルから引き上げなくてはならなかった」

 そう言ってアンチェロッティは、テーブルに手をこすりつけ、「ゼロ」のレベルを表現した。かつて在籍したクラブの幹部にはアンチェロッティが選手に甘いと批判した人もいたが、PSGでの彼は選手に口うるさいと思われていた。

 PSGの選手たちは、人種・国籍別の派閥に分かれていた。「南米組、フランス組、それからイタリア組」と、アンチェロッティは言う。「それぞれの関係はけっこう厄介でね。南米組は自分たちだけでプレイしたがったし、イタリア組もそうだった」

「選手たちは勝者のメンタリティーを持っていなかった。練習はたいてい午前11時開始だった。選手たちは10時半に来て、練習をして、12時半か1時に帰っていった。この習慣を変えるのは簡単じゃなかったが、私は言った。『トレーニングの後には少し残ってくれ。それからきちんと食べて、きちんと飲んで、きちんと休むんだ』。1日も無駄にはできない。(ズラタン・)イブラヒモビッチがいたのは、とても助かった。プロ意識を持つクラブ最高の選手だから。イブラヒモビッチは練習でも他の選手の見本だった。とにかく集中を切らさない。そんなところから結果を出すには6カ月かかった」

 2013年、PSGは1994年以来のフランスリーグ王者となった。
(続く)

>>(1)を読む

4 / 4

関連記事

キーワード

このページのトップに戻る