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首位奪取!レアル指揮官アンチェロッティのマネジメント術 (4ページ目)

  • サイモン・クーパー●文 text by Simon Kuper
  • 森田浩之●訳 translation by Morita Hiroyuki

 アンチェロッティは、完璧に組織化された攻撃的サッカーでヨーロッパカップ(現チャンピオンズリーグ)に2連覇を果たし、「グランデ・ミラン」と呼ばれた黄金期のACミランの知性を支えていた。92年に指導者になったとき、彼はサッキの4-4-2を信奉していた。「私の体験では、それがフットボールをやる唯一の方法だった」

 アンチェロッティはイタリア代表でサッキのアシスタントとなり、その後自分の地元であるレッジャーナの監督に就任する。小さなクラブだったが、彼にとって監督の仕事がもたらすストレスは耐えがたいほどだった。「最初のシーズンを終えたときには『この仕事を3~4年やったら引退しよう』と言っていた」と、アンチェロッティは語る。彼は笑いながら、リードホルムの名言を紹介する。「監督ほど素敵な商売はない。もし試合をやらずにすむのなら」

 しかしアンチェロッティも、しだいにプレッシャーに慣れていった。監督はいつクビを切られるかわからないと知っていても、もう彼がストレスを感じることはない。最近では試合を楽しんでさえいる。

 レッジャーナの後、アンチェロッティはパルマの監督になった。ここで彼は、「偉大なるポニーテール」と呼ばれたロベルト・バッジョと契約するチャンスを手にした。しかしバッジョは、いわゆる「10番」の司令塔をやりたがった。サッキのシステムには存在しなかったポジションだ。アンチェロッティは振り返る。「『きみにはストライカーをやってほしい』と私は言ったんだ。バッジョは別のクラブを選んだ。その年、彼はボローニャで25ゴール(実際には22ゴール)を決めたんだよ! 私は25ゴールを逃したってわけだ。大きな間違いだった」

 この一件でアンチェロッティの考えは変わった。選手より重要なシステムなど存在しない。アンチェロッティは確信を持って、柔軟な姿勢を取るようになった。

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