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明治大時代から別格だった木村和司の技術 「実は僕、アイツのフェイントを真似していました」と元なでしこジャパン監督・佐々木則夫 (2ページ目)

  • 浅田真樹●取材・構成 text by Masaki Asada

 それもそのはず、事実、木村の能力は際立っていたという。

「ボールを扱う技術というのは、だんだん(一緒に練習する)時間が長くなればなるほど、『スゲぇな』と思って、その存在感を知るわけです」

 そう語る佐々木にとって、とりわけ印象に残っているのは、木村が得意とするフェイントだ。

「エサをまいてグッて仕掛けるとか、そういうのはめっちゃうまかったですからね」。

 その技術を間近で見ることができる特権を得ていた佐々木は、「実は僕、アイツのフェイントを真似していました」という。

 帝京高時代はボランチだった佐々木が大学入学後、サイドバックへのコンバートを告げられたときのことだ。

 初めは右サイドバックをやっていた佐々木だったが、「オレ、和司のフェイントができるんで、左のほうが得意なんですけど......」と直訴して、左サイドバックへと移ったというのである。

 佐々木が言う「和司のフェイント」とは、一度ボールをまたいで相手の逆をとる一連の動作のこと。佐々木は「和司のプレーを見てて、『なんだ、これ、簡単じゃねぇか』と思いながら」、その技を自ら実践してみることにした。

「タイミングとか、スピードの変化が難しいんですけど......、でもね、足の動きはできないことはない。だから、『オレに左サイドバックやらせてもらえば、このフェイントで(相手を)抜いてみせるから』って言ったんです」

 木村のフェイントを研究し、どうにか自分のものにした佐々木。「だから僕は、和司のフェイントに引っかからないですよ。一瞬またいだら、パッと(後ろに)引けばいいんだから」という自信は、研究の成果である。

 ただし、この"フェイント対策"には致命的な弱点があった。

「でも、引くと、間合いが空いちゃうから、スピードの緩急でやられちゃうんだよね。その(フェイント)一発にはやられないけど、後ろに下がったことで間ができるんで、すぐにキュッと抜かれちゃう(苦笑)」

 佐々木いわく、木村は「足の出し方のタイミングが抜群なんですよ」。

 これまで一緒にプレーした選手のなかで、木村はトップクラスの才能を持っていたと認める佐々木は、こう言って舌を巻く。

「和司は研究して技術を身につけるとかっていうより、結構、本能的な要素を持っていますよね。器用なんですよ、とにかく」

(文中敬称略/つづく)◆佐々木則夫が振り返る明治大時代「全然面白くない4年間でした」>>

木村和司(きむら・かずし)
1958年7月19日生まれ。広島県出身。広島工業高→明治大を経て、1981年にJSL(日本サッカーリーグ)の日産自動車(横浜F・マリノスの前身)入り。チームの主軸として数々のタイトル獲得に貢献した。その間、日本代表でも「10番」を背負って活躍。1985年のメキシコW杯予選における韓国戦で決めたFKは今なお"伝説"として語り継がれている。横浜マリノスの一員としてJリーグでもプレー。1994年シーズンをもって現役を引退した。引退後は解説者、指導者として奔走。日本フットサル代表(2001年)、横浜F・マリノス(2010年~2011年)の指揮官も務めた。国際Aマッチ出場54試合26得点。

佐々木則夫(ささき・のりお)
1958年5月24日生まれ。山形県出身。帝京高、明治大を経て、大学卒業後に電電公社に入社。大宮アルディージャの前身となる電電関東(のちにNTT関東)でプレー。現役引退後、1996年からNTT関東(のちに大宮)の監督を務めた。2006年からなでしこジャパンのコーチ、U-17女子代表監督に就任。2007年からU-20女子代表の監督となり、翌年からはなでしこジャパンを指揮。2011年女子W杯では日本を世界の頂点に導いた。その後、2012年ロンドン五輪でも銀メダル、2015年女子W杯でも準優勝という成績を収めた。現在は日本サッカー協会女子ナショナルチームダイレクターを務めている。

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