【Jリーグ】ファジアーノ岡山のFWルカオは異色の経歴「自分のプレー映像をYouTubeにアップした」 (3ページ目)
【北マケドニア、ギリシャのクラブを経て日本に】
しかしルカオがプロの道を歩み出した最初のクラブ、アーセナルMGはJリーグのクラブのように、きちんとしたプロフェッショナルではなかった。
「そこはちゃんとしたクラブではなくて、1年間もサラリーを払ってくれなかったんです。だから自分で自分のプレー映像を作って、YouTubeにアップしました。すると、ギリシャ、北マケドニア、ブルガリア、アルバニアのクラブからオファーが来たんです」
本人としては、ブラジルのクラブから声がかかることを望んでいたが、なぜかオファーをくれたのはヨーロッパのバルカン半島のクラブばかりだった。
「それでも僕はプロのキャリアを続けたかったので、そのなかから一番よさそうに思えた北マケドニアのマケドニアGPに移籍しました。でもやっぱり、最初は本当に大変でした。なにより言葉がものすごく難しくて、学んでもなかなか習得できなかった」
1年前に初めて親元を離れたルカオは、北マケドニアという聞いたこともなかった東欧の国で、初めて国外での生活を始めた。言葉、慣習、文化、景色、気候、通貨など、すべてが違う異国で、ボールだけを頼りに挑戦を続けた。だが半シーズン在籍したマケドニアGPでは、出場した試合で1度も勝利を収められず、無得点に終わった。
翌シーズンは同じリーグのレノヴァに移り、3ゴールを記録。次の2018-19シーズンはギリシャの3部リーグでプレーし、リーグ戦とカップ戦を合わせて11得点をマークした。
「ギリシャはフットボールの強い国ではありませんが、すごく美しいところでした。ただ下部リーグだったので、とにかくここでいいプレーをして、ステップアップしたいと考えていたんです」
その時も祖国ブラジルのクラブからオファーを受けて帰国することを目指していたが、彼に興味を示したのは、日本のクラブだった。アジアにコネクションを持つ代理人を通じて連絡してきたのは、当時J2を戦っていた鹿児島ユナイテッドだ。
「エージェントは正直な人で、僕を欲しがっている鹿児島はおそらく、次のシーズンに3部に降格するだろうと言っていた。それでも自分のパワーとスピードは、絶対に日本で通用すると太鼓判を押してくれたし、自信もあったので、入団を決めました」
そのようにして、2019年8月に初めて日本に降り立った。ただその時は、ここが彼にとって第二の故郷となるとは思ってもみなかった――。
>>中編「ルカオが語る来日からのJリーグでのプレー」へつづく
ルカオ
Lucas Marcos Meireles/1995年9月22日生まれ。ブラジル・ミナスジェライス州ドーレス・ド・トゥルボ出身。21歳の時にアーセナルMGでプロになり、その後北マケドニアのマケドニアGP、レノヴァ、ギリシャのアポロン・ラリッサでプレー。2019年に鹿児島ユナイテッドに移籍。以降、ツエーゲン金沢、松本山雅FCと渡り、2023年からファジアーノ岡山でプレーしている。
著者プロフィール
井川洋一 (いがわ・よういち)
スポーツライター、編集者、翻訳者、コーディネーター。学生時代にニューヨークで写真を学び、現地の情報誌でキャリアを歩み始める。帰国後、『サッカーダイジェスト』で記者兼編集者を務める間に英『PA Sport』通信から誘われ、香港へ転職。『UEFA.com日本語版』の編集責任者を7年間務めた。欧州や南米、アフリカなど世界中に幅広いネットワークを持ち、現在は様々なメディアに寄稿する。1978年、福岡県生まれ。
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