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J1で息づく「ミシャイズム」 元コンサドーレ札幌の選手たちが移籍先で活躍のわけ  (2ページ目)

  • 浅田真樹●文 text by Asada Masaki

 ペトロヴィッチ監督が率いた札幌は、その1年目である2018年にクラブ史上最高位となる4位となったものの、その後は一度もひと桁順位を記録していない。

 その意味で言えば、ペトロヴィッチ監督は、必ずしも札幌を強豪クラブに育てたわけではなかった。だが、決して腰を引かず、打ち合いを挑む前向きなサッカーはJ1のなかでも非常に魅力的であり、見応えがあった。

 ペトロヴィッチ監督の下で才能を開花させた選手たちは、皮肉にも次々と北の大地を去り、他クラブへと移籍していくことになったが、むしろその事実こそ、いかに札幌が質の高いサッカーを展開していたかを物語る。

 それについては、ペトロヴィッチ監督も愚痴をこぼすことが少なくなかったが、その様子がどこか誇らしげでもあったのは、きっと彼なりのプライドの示し方だったからだろう。

「組織的にどう攻めるのかとか、どのタイミングでどう崩すのかとか、そういったところは、ひとつのやり方として選手も指導者も(ペトロヴィッチ監督から)学んだところなのかなと思います」

 そう語る四方田監督は、「ただ、サッカーは難しいので、やっぱり(移籍して)チームが変わると、なかなかそれができなかったりする」と言いながらも、うれしそうにこう続ける。

「駒井なんかは、『その難しさも含めてサッカーがすごく楽しいです』っていう話をしていたんで。彼のことは8年ぐらい前から知っていますけど、本当に成長したなと思います」

 ペトロヴィッチ監督の下で頭を使ってサッカーをすることを覚えた選手たちは、他クラブへ移り、そこで異なるスタイルに触れたとしても、戸惑うどころか、楽しむ余裕が生まれているのかもしれない。それは元札幌の選手が古巣を離れた今も、これだけ活躍できているひとつの要因なのだろう。

 昨季J1で19位に終わった札幌は、今季からJ2へ降格。と同時に、ペトロヴィッチ監督もその職を退いた。

 だが、冒頭に記した"同窓会メンバー"以外にも、岡村大八(町田ゼルビア)、金子拓郎(浦和レッズ)、菅大輝(サンフレッチェ広島)ら、ペトロヴィッチ監督から薫陶を受けた多くの選手が、まだまだJ1を舞台に活躍中だ。

 札幌が降格し、ミシャは去っても、その志はいまだJ1で息づいている。

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