親日家のゲルト・エンゲルスが「ドイツに連れて行きたかった」と語った5人のJリーガーとは? (4ページ目)
【Jリーグ創成期を代表するボランチ】
── 現役選手で「ドイツに連れて行きたかったプレーヤー」はいますか。
「4人目に挙げたいのが、まさに現役選手です。すでにドイツにいるんですけど、鹿島アントラーズでプレーしていた佐野海舟です。
粘りのある安定したプレースタイルは、まさに僕が好きなタイプ。前からすごくいい選手と思っていて、ドイツの代理人を連れてJリーグの試合を見に行ったこともあるんですよ。ドイツではまだみんな彼のことを知らなかったけど、その代理人はいい選手で面白いと言っていました」
── 佐野選手の移籍に関与したのですか。
「いえ、その後にいろんな流れがあって、2023年夏や2024年1月に移籍する可能性もあったんだけど、結局は僕が関わる話はなくなり、別のルートでマインツに入りました。でも、彼がドイツに行ったら、すぐにポジションを取ると思っていましたよ。
中盤での守備がブンデスリーガで通用することは、すでにわかっていました。あとはボールの展開力やボックスに入っていくところに、まだ改善の余地があると思います。それも伸び代なので、楽しみですね。日本代表で同じポジションには遠藤航や守田英正がいるので、そう簡単にはポジションを取れないと思いますけど、期待している選手のひとりです」
── 5人目の選手を教えていただけますか。
「最後はね、山口素弘を挙げたいと思います。彼は怒鳴ってチームメイトを鼓舞するタイプじゃなくて、黙々とプレーしながら背中で見せていく選手でした。
フリューゲルス時代、サンパイオとの中盤のバランスはとてもよかった。山口とのダブルボランチは、なかなかのレベルだったと思いますよ」
── Jリーグ創成期を代表する日本人ボランチのひとりですよね。
「山口は得点力があるとか、すごく面白いロングパスを出すとか、そういう派手さがあるプレースタイルではありません。時々すごいミドルシュートを見せることもありましたが。ディフェンスラインに入ったら、3バックもスムーズにできたタイプだと思いますよ。
今、山口が現役選手だったとしても、海外に行くようなタイプではないように思いますが、彼が海外に出ていたらどうなっていたのか......と想像したくなりますね」
<了>
【profile】
ゲルト・エンゲルス
1957年4月26日生まれ、ドイツ出身。1975年からサッカー選手としてプレーし、1990年に水戸ホーリーホックの前身アセノ・スポーツクラブに選手兼コーチとして来日。その後、日本で指導者の道を歩みはじめる。滝川第二高→横浜フリューゲルス→ジェフユナイテッド市原→京都パープルサンガ→浦和レッズ→モザンビーク代表→ヴィッセル神戸→INAC神戸レオネッサ→相生学院高→AIE国際高を経て、2025年に徳島ヴォルティスのヘッドコーチに就任する。現役時代のポジションはMF。
著者プロフィール
了戒美子 (りょうかい・よしこ)
1975年生まれ、埼玉県出身。2001年サッカー取材を開始し、サッカーW杯は南アフリカ大会から、夏季五輪は北京大会から現地取材。現在はドイツを拠点に、日本人選手を中心に欧州サッカーを取材中。著書『内田篤人 悲痛と希望の3144日』(講談社)。
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