親日家のゲルト・エンゲルスが「ドイツに連れて行きたかった」と語った5人のJリーガーとは? (2ページ目)
【ポテンシャルはケタ違い。練習していれば...】
── 各クラブの指導者として、または対戦相手の監督・ヘッドコーチとして、ゲルトさんは数多くのJリーガーを見てきました。そのなかで「才能を感じたので、海外でプレーさせたい」と思った選手を教えてもらえますか?
「海外でプレーしていたら、どうなっていたかな......っていつも思うのは、やっぱり横浜フリューゲルス時代の三浦淳宏ね。その昔にチャンスがあったのなら、絶対に連れていきました。
彼のポテンシャルはケタ違いです。右も左もできて、ウイングもサイドバックもできて、スピード、パワー、テクニック......どれも申し分なかった。そして、頭の回転もよかったですね。絶対にヨーロッパで活躍できた選手です」
── それほど抜きん出た存在でしたか。
勝負の勘どころもすごくよくて、プレーも華やかで、まさに非の打ちどころがない選手。僕はフリューゲルス時代に一緒にやっていて、サッカーに対する考え方も近くて好きだった。
ただ、残念なことに彼は、練習がそれほど好きな選手ではなかった(笑)。才能があるんだから、もっと練習しないといけなかったですよね。高校時代(国見高)までに練習をしすぎて、イヤになっちゃったのかもしれない」
── ふたり目は誰でしょうか。
「ふたり目は、結果的に彼はドイツに行ったんですけど、浦和レッズで一緒だった長谷部誠ですね。直接、僕がドイツに連れて行きたかった。とても性格はいいし、人間性も完璧に近い選手。
僕はいろんな選手のことを考える時、長谷部を基準に考えています。彼は最初から真面目な選手でした。体のケアも大事にしていましたね。
浦和時代はボランチもできましたけど、もう少し前のほうでプレーが活きる選手でした。2005年の天皇杯は、彼のおかげでタイトルを獲れたようなものです(準決勝の大宮アルディージャ戦で2ゴール)。パスを出すだけじゃなくて、自分で持ち上がることもできて。現役の最後はリベロもやっていましたが、それもソツなくこなしていましたね」
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