「小野伸二に引っ張られて頑張れた」黄金世代のGK南雄太が振り返る26年のサッカー人生
南雄太インタビュー(後編)
「自分たちの世代、79年組は、だいぶ長く現役を続けましたね。同じ世代にこれだけすごいヤツがいることも、なかなかない。先頭に(小野)伸二がいて、みんながそれぞれ引き上げ合う感じ。おかげで、俺も長くやってこられたと思っています」
南雄太(44歳)はそう言って、感慨深げに振り返る。
今年10月、大宮アルディージャの南は26年間に及んだ現役生活に別れを告げた。柏レイソル、ロアッソ熊本、横浜FC、そして大宮に在籍し、Jリーガーとしてルヴァン杯や天皇杯などを含めると700試合以上に出場した。一時代を築いたと言えるだろう。
南はいわゆる"黄金世代"のGKだった。1999年のワールドユース(現行のU-20W杯)で準優勝に輝いた世代。小野を筆頭に、高原直泰、稲本潤一、小笠原満男、遠藤保仁、加地亮、本山雅志、中田浩二など、その多くがその後、日本代表でプレーし、五輪やW杯でも主力となった。ひとつの世代がこれほど長く日本サッカーの核を成すことは例外的だ。
伝説となった黄金世代とは、何だったのか?
1999年、ナイジェリアで行なわれたワールドユースに出場した南雄太 photo by AFLOこの記事に関連する写真を見る「個人的には、伸二に引っ張られた世代だったと思います。あの世代の誰もが伸二を追いかけていたはずで......」
南は言う。
「伸二は『初代・お化け』ですよ。日本サッカーの歴史で最高の選手。高校の時からいろいろな選手を見てきて、それこそ『100年にひとり』とか言われる選手が何人もいましたけど、伸二以上の選手はいない。たとえば久保(建英)君もすごくいいと思うんですけど......自分にとっては伸二のプレーは遊びがあって芸術的で、唯一無二でした」
小野がいたことで、稲本、小笠原、遠藤、中田など錚々たるMFたちが、自らのポジションを下げたほどだ。
「みんな、"負けてらんねぇ"と思って切磋琢磨してきた世代だと思います。伸二や高原が海外で活躍していたころ、俺はちょうどレイソルで試合に出られないようになって、"自分は何をやっているんだ"と思って、正直、当時は相当に焦りました。でも、"自分も頑張んなきゃ"という存在が身近にあったからこそ、26年も現役を続けられたのかもしれません」
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著者プロフィール
小宮良之 (こみやよしゆき)
スポーツライター。1972年生まれ、横浜出身。大学卒業後にバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。パリ五輪ではバレーボールを中心に取材。