リフティング動画が大バズり→公認アンバサダーに就任! 眞嶋優は一度サッカーから離れるも大学時代に再び練習を始めた
俳優・眞嶋優 インタビュー前編(全2回)
大のサッカー好きである俳優の眞嶋優さん。「サッカーの街」埼玉・浦和で育った眞嶋さんは、3歳の頃にサッカーを始め、浦和レッズハートフルクラブでプレー。最近では、SNSに投稿したリフティング動画が大バズり、それをきっかけにフリースタイルフットボール公認アンバサダーに就任している。インタビュー前編では、少女時代を振り返りながら、サッカー愛を語ってもらった。
華麗なリフティング技が反響を呼んでいる俳優の眞嶋優さんこの記事に関連する写真を見る
【サッカーの街ですくすく成長】
ーーまずサッカーを始めたきっかけは?
眞嶋優(以下同) 私は3歳の時にサッカーを始めたんですが、なぜ始めたのか、その理由ははっきりとは覚えていません。家族がとてもアクティブで、一緒にサッカーをやったり、野球やバスケットボールをしたりしました。そのなかでサッカーが私に合っていたようで、自然と始めたんだと思います。子どもの頃に住んでいた浦和は、サッカー愛あふれる街で、友だちと一緒にサッカーをする機会も多かったです。
ーー浦和で育ったとのことで浦和レッズの試合観戦にも行きましたか?
試合は家族や友だちと一緒に観に行っていましたよ。とくに記憶に残っているのは、2002年、「ヤマザキナビスコカップ」(現・YBCルヴァン・カップ)の浦和レッズと鹿島アントラーズの決勝です。直前に生焼けのサンマを食べてしまって、じんましんが出た状態で試合を観たことを覚えています(笑)。5歳か6歳の時ですね。子どもの頃の眞嶋さん。サッカー漬けの日々を送ったという 写真/本人提供この記事に関連する写真を見るーー浦和レッズハートフルクラブにも入っていたとか。
小さい頃から2歳上の兄と一緒にボールを蹴っていましたが、真剣にサッカーをやりたいと思ったのは、浦和レッズハートフルクラブに入ってからです。もっとうまくなりたいって。サッカーの楽しみは点をとること、そして私はドリブルが好きだったので、とにかくドリブルでボールを運んでシュートするのが楽しかったです。
ーー当時、好きだった選手は?
私が一番好きだったのは、当時浦和にいた田中達也選手です。彼のプレースタイル、とくにドリブルに本当に感動していました。彼はまさに「ワンダーボーイ」でした。華麗なリフティングを披露。取材陣からは歓声この記事に関連する写真を見る
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著者プロフィール
池田鉄平 (いけだ・てっぺい)
ライター・編集者。国内・外資系のスポーツメーカー勤務を経て、メディア活動や地方創生のPRを担当。音楽一家で育ち、過去にアーティストとしてインディーズデビューも経験。スポーツ、音楽、エンタメを中心に取材活動を行なっている。