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「遠藤保仁のベストイレブン最多12回受賞の次に多い選手は」など、Jリーグ30周年を記念してクイズを出題 (3ページ目)

  • 後藤健生●文 text by Goto Takeo
  • photo by Getty Images

A16:ギド・ブッフバルト

 長く西ドイツ(ドイツ)代表の守備の要としてプレーし、1990年のイタリアW杯決勝ではマラドーナを完封して優勝に貢献。準々決勝敗退で終わった1994年アメリカW杯後に代表を引退して、浦和レッズに入団しました。その後、浦和では1997年までプレー。2004年に浦和の監督に就任すると、同年第2ステージ優勝。翌シーズンには天皇杯も獲得。2006年に浦和にとって初めてとなるJ1リーグのタイトルをもたらしました。なお、日本人では2012年に広島を優勝に導いた森保一が初の元Jリーガーの優勝監督です。

A17:5人(森孝慈、横山謙三、ハンス・オフト、加茂周、岡田武史)

 日本を初めてW杯出場(1998年フランスW杯)に導いた岡田武史は、それまで監督経験がなかったが、代表監督辞任後はコンサドーレ札幌でJ2優勝。横浜F・マリノスでJ1でも連覇を達成し、日本を代表する監督の1人となった。だが、その後、代表監督経験者でJリーグクラブを率いた人物はいない。代表初の外国人監督オフトは、ジュビロ磐田や浦和レッズで、のちに強豪となるクラブの基礎を築いた。森、横山両氏はプロ化以前の代表監督。

A18:田中マルクス闘莉王(9回)

 1998年に千葉県の渋谷幕張高校に留学して広島、水戸ホーリーホックを経て、浦和や名古屋グランパスでセンターバックとしてプレー。ブラジル出身者らしい「歯に衣を着せない」コメントも独特でした。当初はFWとしてその高さを生かすプレーを見せていましたが、その後守備的なポジションにコンバートされ、2010年の南アフリカW杯では中澤佑二と組んで鉄壁の守備を築き上げ、日本代表のラウンド16進出に貢献。DFになってからも攻撃参加が大好きな選手でした。

A19:中山雅史

 ボールを持ったら、まず超アグレッシブに相手のゴールを目掛けて積極的に仕掛けていく中山のスタイル。真っすぐにゴールに向かってくるプレースタイルはDFにとっては厄介な存在で、そのパワフルな突破力には日本人離れしたものがありました。1998年4月には4試合連続ハットトリックを決めるなど華々しいプレーで注目を集め、「ゴン中山」としてサポーターから熱心なサポートを受けました。

A20:鹿島アントラーズとガンバ大阪

 鹿島とG大阪は"常勝軍団"として共に10回出場していますが、それぞれ優勝は1回のみ。一方、優勝回数が多いのは浦和レッズで、天皇杯優勝チームとして出場した2022年大会の決勝(2023年4、5月開催)でも守備戦術を徹底しながらカウンターをしかけ、強豪アル・ヒラル相手に1勝1分で勝利して優勝。「3度の優勝」は全アジアを通じて初めての快挙です。浦和は次の大会で9回目の出場となります。

著者プロフィール

  • 後藤健生

    後藤健生 (ごとう・たけお)

    1952年、東京都生まれ。慶應義塾大学大学院博士課程修了(国際政治)。1964年の東京五輪以来、サッカー観戦を続け、1974年西ドイツW杯以来ワールドカップはすべて現地観戦。カタール大会では29試合を観戦した。2022年12月に生涯観戦試合数は7000試合を超えた。主な著書に『日本サッカー史――日本代表の90年』(2007年、双葉社)、『国立競技場の100年――明治神宮外苑から見る日本の近代スポーツ』(2013年、ミネルヴァ書房)、『森保ジャパン 世界で勝つための条件―日本代表監督論』(2019年、NHK出版新書)など。

◆【画像・図】誰が入る? 識者10人が選んだJリーグ30年のベストイレブン フォーメーション

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