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ガンバ大阪の宇佐美貴史が今季から背番号「7」をつけるわけ。「誰でもつけられる番号にしたくなかった」 (3ページ目)

  • 高村美砂●取材・構成 text by Takamura Misa
  • photo by ⓒGAMBA OSAKA

 実際、今の僕があるのも"飛び級"という居心地の悪い環境に育てられたからというか。身の丈には合っていない環境に放り込まれ、先輩に気を遣ったり、どうすればここでうまくプレーできるのかを考えたり、行動しながら、居心地の悪さのなかでも身の丈に合う自分を求めてきたことで、成長することができた。

 それは『7』も同じというか。ヤットさんがガンバで残してきた功績を考えれば、今の僕はまだサイズの合っていないブカブカの洋服を着ているようなもんですけど、そこに自分を合わせていこうとすることで、見出せる成長があるんじゃないかと思っています。

 また、チームにとっても、僕が背負うことで『誰でも背負える番号じゃないよ』というメッセージ性を備えられたらいいな、と。『7』を背負うには、サッカーが巧いとか、実力があるとか、キャリアがあるとか、ってだけじゃなく、クラブへの想いが強いとか、サポーターにも信頼されているとか、『いろんなドレスコードが必要だよ』というイメージを作れればいいなと思っています」

――遠藤選手、宇佐美選手がつけた番号を次に背負う選手の気持ちを想像すると、かなり勇気がいりそうな気がします。

「いやいや、そこは大丈夫でしょう! この先、たとえば(食野)亮太郎が4~5年頑張ってチームのエースに成長して引き継ぐでもいいし、(堂安)律(フライブルク)がキャリアの最後にガンバに戻ってきてつけるのもいい。なんなら、ヤットさんの息子さんがガンバでプロになって受け継ぐというのもドラマがありますよね?

 あるいは、クラブの生え抜きじゃなくても、所属選手のなかから志願者が出てきてもいいと思うし、重みをしっかり理解してつけてくれるのなら移籍してきた選手でもまったく問題ないと思います。というか、まずは僕自身がそういう重みを備えられる番号にしていくのが先決で、それによって子どもたちにも『ガンバの7を背負って戦いたい』と夢を抱いてもらえる番号になればいいなとも思う。

 そのためには、チーム、個人としても結果がいるというか。ヤットさんが築いた『7』の歴史には常にタイトルを含めて結果が伴ってきたと考えても、今シーズンはそこへの思いも強く持っています」

(つづく)後編はこちら>>

宇佐美貴史(うさみ・たかし)
1992年5月6日生まれ。京都府出身。ガンバ大阪のアカデミー育ち。2009年、高校2年次にトップチームの昇格。2011年夏にはドイツの名門、バイエルン・ミュンヘンに移籍。翌シーズンはホッフェンハイムでプレーし、2013年にガンバへ復帰。2014年シーズンには、リーグ、カップ、天皇杯と三冠達成に貢献した。その後、再び海外へ。アウクスブルク、デュッセルドルフでプレーし、2019年に再びガンバへ復帰。以降、チームのエースとして奮闘している。

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