高校サッカーの名将・小嶺忠敏さん逝去から1年。教え子2人が監督として全国の舞台へ。「尊敬しかない」「運命を感じる」 (3ページ目)

  • 森田将義●文・写真 text&photo by Morita Masayoshi

【運命を感じる選手権初出場】

 国見高校が12年ぶりの選手権出場を決めた同日、愛媛県では小嶺さんの教え子である帝京第五高校の監督である植田洋平が初めての全国大会出場を掴んだ。

 植田は木藤の2歳上で、選手権予選の直前の練習試合を行なった仲でもある。「知り合いたちも国見が行くか、帝京第五が行くかと注目してくれていた。同時に行けたのでうれしいです」と笑みを浮かべた植田は、こう続けた。「国見でプレーし、小嶺先生の背中を追いかけて一緒の舞台に立ちたいと思っていたけど、もう叶わなくなった。ただ、小嶺先生が100回大会の舞台でいなくなり、101回目の舞台から僕が出場できるなんて、運命を感じますね」。

 植田はもともと高知県出身。3歳年上の兄がサッカーをやっていた影響で小学生の頃から「高校サッカーマニアだった」(植田)。毎年のようにテレビで勝ち上がる姿を見るうちに国見のファンになっていたという。中学2年生で世代別代表に選ばれていた植田は、ジェフユナイテッド市原ユースや帝京高校からも声がかかったが、高知の大会まで小嶺さんが足を運んで勧誘してくれたこともあり、憧れだった国見への入学を決めた。

 入学初日に狸山と呼ばれる往復12㎞の山道を走らされるなど、当時はきつい練習が多かった一方、毎日体育館で行なう朝練は『WOW WAR TONIGHT』など当時流行っていた音楽をかけながら、パス禁止のドリブルゲームとパスゲームを交互に繰り返し、技術を身につけた。

 休みはほとんどなく、「同級生が『俺はなんで国見に来たんだろう』と口にするぐらい練習がきつかった」(植田)が、勝つための確率を1%でも上げるために、精一杯サッカーと向き合った高校3年間は、植田の財産になっている。平日の大半を選手と同じ寮で暮らし、練習で選手に熱く指導する姿は、小嶺さんと重なる部分が多い。

「小嶺先生から学んだことで生徒に言うのは、『人間は壁にぶち当たった時に、突き抜けられるかどうか』という言葉。社会人になったら、やっぱり困難はあるじゃないですか。そこで困難と向き合える精神力、突き抜けようとする精神力を持っているかが1番大事だと思っています。それを身につけさせてくれたのが国見高校のサッカー部であり、小嶺先生」(植田)

3 / 4

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る