高校サッカーの名将・小嶺忠敏さん逝去から1年。教え子2人が監督として全国の舞台へ。「尊敬しかない」「運命を感じる」 (2ページ目)

  • 森田将義●文・写真 text&photo by Morita Masayoshi

【新しい国見を作らないといけない】

 モンテディオ山形でプロとしてのキャリアを終えてから、子どもたちを指導するうちに指導の面白さを感じ、大学に通い直して体育教師の免許を取った。2017年には部長の立場で母校の国見高校に戻り、翌年には監督を任された。「教員になると決めた時から、いつかは国見の監督になりたいとは思っていた。ずっと勝てていなかったので、もう1回チームを何とかしたいという思いもありました」(木藤)。

 就任初年度の選手権予選では確かな手応えを感じながら、ベスト8で小嶺さん率いる長崎総合科学大学附属高校に0-3で完敗。「まざまざと力の差を見せつけられて、いろんなことを変えなければいけないと思いました。ただ先生のマネをするだけでなく、ちゃんとした新しい国見というものを作らないといけない」と考えた木藤は、国見復活のために動いた。

 まずは、有望な中学生に再び国見に来てもらうため、V・ファーレン長崎の強化部からコーチに転身した1 歳下の田上渉と共に全国を周り、選手を勧誘した。「自分なりの意味が見いだせなかった」(木藤)と国見の象徴と言える坊主頭もやめ、スマホの使用も認めた。オフも必ず週に1度与えている。ピッチでは厳しく指導しつつ自由を与えることで、些細な失敗を経験しながら人間として成長してほしいというのが木藤の考え方だ。

「指導者になって先生がなぜ厳しくしていたのか、勝つために何が必要なのか。見えていなかったところが見えてきた。情熱が途切れないというか、長く続いていくすごさも感じました。自分も同じことができるかと言ったら絶対にできない。ただ尊敬しかない」(木藤)

 国見を率いるようになってから、"小嶺先生"に対する想いは強くなっていったが、ライバル校という立場もあり、サッカーのアドバイスを求めたことはなかったそうだ。

「今となっては、もっと聞いておけばよかったと後悔しています」(木藤)

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