中村憲剛と佐藤寿人のキャプテン論。「あの人」の影響でクルマの中にペンと色紙を置くようになった (5ページ目)

  • 原山裕平●取材・文 text by Harayama Yuhei
  • 佐野美樹●撮影 photo by Sano Miki 佐々木麻里子●ヘア&メイク Hair & Make up by Sasaki Mariko

---- よく、チームが苦境に立たされた時にバーベキューをしますよね。

佐藤 この間、(内田)篤人が「バーベキューは終わりの始まり」って言ってましたよ(笑)。

中村 それは...俺もそう思う...。

佐藤 グラウンドレベルで解決しないといけないのに、グラウンドから離れちゃうわけですから。

中村 そう。だから本来バーベキューは、いい時の雰囲気をさらに加速させる意味でやったほうがいいと個人的には思う。篤人の「バーベキューは終わりの始まり」は、ものすごく的を射てるな。

佐藤 建設的な話ができるわけでもないですし、現実から逃げているだけなので、ピッチ上の問題解決にはならないんですよ。

中村 寿人、そこまで言ったら、どのチームもバーベキューやりにくくなっちゃうぞ(苦笑)。

---- 寿人さんもサンフレッチェ広島、名古屋グランパスとキャプテンを経験していますね。

佐藤 僕がキャプテンマークを初めて巻いたシーズンは、2007年に広島が降格してからなんです。それまでは戸田(和幸)さんが巻いていたんですが、試合にあまり出られなくなってきて。クラブとしてもなんとかJ1に戻らないといけないという状況のなかで、試合に出ている選手をキャプテンにという流れもあって、自然とキャプテンマークを渡された感じでしたね。

---- どういった想いでキャプテンの役割を担っていたのですか。

佐藤 もちろんストライカーとして、自分が点を取りたいという想いはありますけど、それ以上にクラブがドン底にいたので、何としてでもいいサイクルに戻さないといけない。J1復帰に向けて全員のベクトルを合わせて、どうやってチームをまとめていくかということを考えていたと思います。

 それまではポジション的にも、自分がどういうふうにプレーするか、だけを考えていました。ですが、キャプテンをやったことでチーム全体を見るように意識しました。

 若い選手がどういうことを考えているのか。どういう状態で取り組んでいるのか。そうやってチーム全体に目を配るなかで、いろんなことを感じ取れるようになっていったので、キャプテンを経験できたことは本当によかったと思います。

(中編につづく)

【profile】
中村憲剛(なかむら・けんご)
1980年10月31日生まれ、東京都小平市出身。久留米高校から中央大学に進学し、2003年にテスト生として参加していた川崎フロンターレに入団。2020年に現役を引退するまで移籍することなく18年間チームひと筋でプレーし、川崎に3度のJ1優勝(2017年、2018年、2020年)をもたらすなど黄金時代を築く。2016年にはJリーグ最優秀選手賞を受賞。日本代表・通算68試合6得点。ポジション=MF。身長175cm、体重65kg。

佐藤寿人(さとう・ひさと)
1982年3月12日生まれ、埼玉県春日部市出身。兄・勇人とそろってジェフユナイテッド市原(現・千葉)ジュニアユースに入団し、ユースを経て2000年にトップ昇格。その後、セレッソ大阪→ベガルタ仙台でプレーし、2005年から12年間サンフレッチェ広島に在籍。2012年にはJリーグMVPに輝く。2017年に名古屋グランパス、2019年に古巣のジェフ千葉に移籍し、2020年に現役を引退。Jリーグ通算220得点は歴代1位。日本代表・通算31試合4得点。ポジション=FW。身長170cm、体重71kg。

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