中村憲剛と佐藤寿人のキャプテン論。「あの人」の影響でクルマの中にペンと色紙を置くようになった (4ページ目)

  • 原山裕平●取材・文 text by Harayama Yuhei
  • 佐野美樹●撮影 photo by Sano Miki 佐々木麻里子●ヘア&メイク Hair & Make up by Sasaki Mariko

---- フロンターレでキャプテンに指名された時は、どんな心境でしたか。

中村 2003年に入団して、早い段階(2006年)で副キャプテンになって、2007年にはゲームキャプテンとしてキャプテンマークを巻かせてもらったんですけど、先ほども言ったようにこれまでもキャプテンをやってきた人間ですし、指名された頃には自分がチームの中心でやるんだという気概を持って試合に出ていましたし、代表にも入った頃だったので、ごく自然となった感じです。

 ただ、当初は宏樹さんとの2頭体制だったんですね。僕が試合ではキャプテンマークを巻いていましたけど、宏樹さんが裏でうまくチームをまとめてくれていました。だから、本当の意味でチームのキャプテンになったのは、2013年にあの人が引退してからなんですよ。

 そこからはある意味、孤独でしたね。自分はずっとやりたいことをやっていただけで、裏でチームを回していたのはあの人だったんだなって、いなくなって気づきました。しばらくは"宏樹ロス"でしたね(苦笑)。

---- イメージするキャプテン像はあったんですか?

中村 理想は正直なかったですね。ただ、チームを勝たせたい気持ちが一番強い人がやるべきというのはずっと思っていて、その時はチームのことを一番考えているという自負があったし、自分がやらなければいけないという想いもありました。だから、キャプテンになったといってもそんなに変わらなかったんですが、宏樹さんがいなくなって、初めてその重さに気づくという。

佐藤 チームがいい状態の時だったらいいですけどね。うまくいかなくなった時に、やらなければいけないことが増えてくるんで。

中村 うまくいっている時は何にもしなくていいけど、うまくいかない時にどうするか。みんなで集まって話をしようとかも考えましたよ。ただ、あまりそれはやりたくなかった。ピッチ上で解決するべきだと思ったし、みんなで部屋に集まって話すのは最終手段だなといつも思っていましたから。

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