貴公子と呼ばれたJ草創期のスター。レオナルドが欧州サッカー界の大立者になるまで (2ページ目)

  • リカルド・セティオン●文 text by Ricardo Setyon
  • 利根川晶子●翻訳 translation by Tonegawa Akiko

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【サッカー選手より消防士になりたかった】

 裕福な白人家庭に生まれ、十分な教育と愛情を受けて育った。確かにブラジルサッカー界では珍しいタイプである。同じような境遇でトップまでたどり着いた選手は数少なく、カカがいるくらいだ。そのためふたりは、カカが「二番目のレオナルド」なのか、レオナルドが「1番目のカカ」だったのかで(もちろん冗談まじりに)、争っている。

 父はスペイン系で、母の父はポルトガル人、どちらもヨーロッパにルーツがある。

 父の叔母は音楽学校のディレクターで、母はピアノやバイオリン、アコーディオンなど多くの楽器をたしなむ人だったため、音楽が取り持った縁だったようだ。父母はレオナルドが5歳の時に離婚したが、別れたあともずっと友達のような関係が続いており、母に引き取られたレオナルドも、常に傍らには父の存在があったという。家族のいい思い出はたくさんあった。

 レオナルドは三人兄弟の末っ子で、姉のロベルトは3歳、兄のフランシスコは2歳年上だった。レオナルドは他のブラジルの少年同様、ボールを蹴って育った。ただ、サッカーは大好きだったが、それを武器に貧しさから抜け出す必要はなかった(彼自身は少年時代、消防士になりたかったという)。

 レオナルドの人生はサッカー一色ではなく、ほかにも好きなことがいっぱいあったし、それをする余裕もあった。たとえば、父は車やバイクや自転車が好きだったので、レオナルドもその影響を受け。9歳の時には隠れてバイクを運転していたという。自転車も好きで、どこに行くも自転車で、歩くことはほとんどなかった。母の影響で小さい頃にピアノを習わされたが、こればっかりは嫌で、たまらずすぐにレッスンから逃げ出した。ただ、今となっては習わなかったことを後悔しているという。スポーツもバレー、ハンドボール、バスケとこなし、すべてがうまかった。。

 レオナルドはリオ州でも有名な小中高一貫の私立の学校アベウ・インスティトゥートに通っていた。学校は勉強のほかにスポーツや芸術の教育にも力を入れていた。サッカーは学校のほかに、近所のリオ・クリケットという小さなチームでもプレーしていた。

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