名古屋在籍中の元ブラジル代表を襲った悲劇。「忘れるためにプレーした」 (2ページ目)

  • リカルド・セティオン●文 text by Ricardo Setyon
  • 利根川晶子●翻訳 translation by Tonegawa Akiko

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 タイトルこそ手にはできなかったが、名古屋ではおよそ1年間、チームに大きく貢献した。

 サポーターには、その選手がチームを本当に愛しているか否かがわかるものだ。バウドが真剣に名古屋のことを考えていたからこそ、サポーターにも愛された。練習後、他の選手がシャワーを浴び、家に帰るなか、残って若い選手たちにいろいろなことを教えることもあった。また、時間があれば、地域の子供たちにもピッチでの動き方を教えていた。もちろん、無報酬で、だ。

 今でもバウドはJリーグの試合を見ており、ジーコとも連絡を取り合っていると言う。いつか日本に戻ってチームを率いたいとも思っている。それが実現する日は、それほど遠くはないかもしれない。

 日本からブラジルに戻ったバウドは、クルゼイロ、サントス、アトレチコ・ミネイロなどでプレーしたのちに、2004年、39歳で長いキャリアに幕を閉じた。

 最後にプレーしたのは本田圭佑のいたボタフォゴだ。だから今回、本田のとった行動に対しては、思うところがあるらしい。

「私は日本を愛している。しかし、本田がボタフォゴにしたことは、私を少し考えさせた。彼にはプロとしての意識が足りない」

 39歳までトップリーグでプレーし続けるのは、簡単なことではない。本気で練習に取り組み、何より若者のように走らなくても済むテクニックがなければ不可能だ。私はその秘訣を知りたくて、その質問をぶつけてみた。

「特に大きな秘密はないよ。日々の生活を、規則正しく、規律に乗っ取り、真面目に送ることだ。私は自分がスターだとも、すごい選手だとも思ったことはない。ただ、そういった生活を長年送ってきたことに関しては、誇りを持っている。そしてそれを支えたのは、自分はただのサッカー選手ではなく、プロのサッカー選手だという意識だ」

 バウドは続ける。

「私は自分の身に着けているユニホームとそのサポーターに敬意を表する。なぜなら我が家で毎日テーブルに乗る食べ物は、彼らが、サッカーが与えてくれたものだからだ。だから唯一秘密があるとしたら、自分の仕事を愛し、チームやサポーターへの感謝の念を忘れないことだね」

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