「選手寿命がなくなっていく」昌子源が抱えていた苦悩と代表への思い (4ページ目)

  • 佐藤 俊●取材・文 text by Sato Shun
  • 牛島寿人●撮影 photo by Ushijima Hisato

――ロシアW杯のあと、日本代表も若返って、センターバックのポジション争いも激しさが増しています。

「以前、トミ(冨安健洋/ボローニャ)とは代表で一緒にプレーしたけど、トミは誰が見てもいい選手。若いけど、基礎能力が高いし、『ほんまに22歳か!?』っていう風貌をしている(笑)。他にも若い選手がたくさん選ばれているけど、僕はまだ絡んだことがないので、もし代表に呼ばれたら、みんなとコミュニケーションを取って切磋琢磨して、日本のためにやっていきたい。

 あと、(吉田)麻也くんとはロシアW杯以降、森保さんの代表ではまだ一緒にやったことがないんですよ。なんか恋しいというか、寂しい感じもあるので、また一緒にやりたいですね(笑)」

――代表に復帰するため、またガンバで確固たる地位を築くため、自らに何かノルマを課していますか。

「いや、特にノルマとか、数字は考えていない。とにかく、ガンバでは目の前の試合で、100%でやる。センターバックは力のある選手が多いので、3バックだと3人出られるけど、4バックでは2人しか出られないので、そこでも自分が出られるようにしたい。そうして、100%の自分を取り戻す。

 昨年は足首が痛くて、自分らしいプレーができなかった。今年はそういう意味では、『ほんまのスタートやな』って思います。正直、新加入みたいな気持ちです」

 思い切り走れない、思うように蹴れない......。昌子は長らく、サッカー選手としてつらい時期を過ごしてきた。今季はその時期を乗り越えて、ようやく100%の自分を出すべく動き始めた。今の昌子からは、右足首の痛みに苦しんだ1年半近くの時間を取り戻すのではなく、以前よりも一歩、二歩前進して、新しい何かをつかみ取ろうとする意欲が感じられる。

 鹿島アントラーズ時代の昌子には、DFらしからぬギラギラしたものがあった。足首が完治に向かっているその眼には、かつて見た、野心と挑戦の炎が大きく宿りつつある。

(おわり)◆前編はこちら>>

昌子源(しょうじ・げん)
1992年12月11日生まれ。兵庫県出身。米子北高を卒業後、鹿島アントラーズ入り。4年目にして頭角を現し、以降は不動のセンターバックとして活躍。2016年、2017年にはJリーグベストイレブンに選ばれる。日本代表でも奮闘し、2018年ロシアW杯に出場。同年、フランスのトゥールーズに移籍するも、右足首の負傷によって思うようなプレーができなかった。2020年、ガンバ大阪に移籍。同シーズン後、右足首の手術をし、改めて今後の飛躍が期待される。

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