ジーコともプレーしたレジェンド。大物ブラジル代表が日産に加わるまで

  • リカルド・セティオン●文 text by Ricardo Setyon
  • 利根川晶子●翻訳 translation by Tonegawa Akiko

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第13回オスカー(前編)

 強力なセンターバック(CB)でありながら、常にフェアプレーでエレガント、卓越したテクニックを持つ。ボールとともにある時は賢く、ボールがない時の動きは聡明で、何よりもチームの偉大なリーダーだった。

 ジョゼ・オスカー・ベルナルディ。オスカーは、最近ではもうあまり見られなくなったジョゴ・ボニート(美しいゲーム)の代名詞でもあった。それがゆえに誰もが彼のプレーにサウダージ(哀愁)を感じている。

 礼儀正しく、真面目で、レベルの高いプロ。彼の美点をあげていたらきりがない。オスカーは今日でも、ブラジルサッカー界を代表する偉大な選手のひとりに数えられている。ブラジルの名選手といえば、すぐに名前が挙がるのはペレ、ガリンシャ、リベリーノ、ジーコ、ファルカン、ロマーリオ、ロナウド、ロナウジーニョ、ネイマール......みんな偉大なミッドフィルダーもしくはストライカーだ。

 しかしオスカーはディフェンダーでありながら、そのひとりとなった。それは決して簡単なことではなかったろう。彼の仕事はゴールすることではなく、ゴールを防ぐことだ。

「ストライカーより確実に3倍は難しい仕事だ」

 かつてインタビューした時、オスカーは私にそう言った。

1987年に来日、2シーズンにわたり日産でプレーしたオスカー photo by Yamazoe Toshio1987年に来日、2シーズンにわたり日産でプレーしたオスカー photo by Yamazoe Toshio オスカーは実際には世界チャンピオンにはなっていない。しかし彼がプレーした3度のW杯でのセレソン(ブラジル代表)は、それぞれの大会における最高のチームだった。

 1978年アルゼンチン大会は、パーフェクトな守備のおかげで、ブラジルは1試合も落とすことなく勝ち進んだ。しかし、開催国のアルゼンチンがペルーに、疑いの残る6-0の大差で勝利したことによって、得失点差でブラジルを上回り決勝に進出。結局、ブラジルは3位になってしまった(このW杯は2つの2次グループリーグの各1位同士が決勝に勝ち進むルールで行なわれた)。この大会でブラジルの守備陣を率いていたのがオスカーだった。

 1982年スペイン大会のセレソンは、W杯史上最高と言ってもおかしくないチームだった。ブラジルが見せたのは、まさにジョゴ・ボニートの真髄だった。ジーコ、ソクラテス、トニーニョ・セレーゾ、ファルカンの黄金のカルテット。その後ろで、CBとして彼らを支えていたのがオスカーだった。

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