日本のゴミ分別に苦しんだブラジル代表FW。柏でカレッカとコンビ (2ページ目)

  • 津金壱郎●文 text by Tsugane Ichiro
  • photo by AFLO

 そうして迎えた1995年3月18日の開幕戦の清水エスパルス戦。ミューレルはJリーグデビューを果たしたものの、シュートはわずか1本で無得点に終わった。来日初ゴールは第3節のヴェルディ川崎戦。このミューレルの得点で1−0で勝利した柏は、Jリーグでの記念すべき1勝目を手にした。

 ミューレルはその後も活躍し、ゴール数を5に伸ばした。だが、来日から2カ月後の5月4日に事態は急展開を迎える。ミューレルが「家族の事情」を理由に退団を申し出たのだ。クラブは根気強く慰留につとめたものの翻意は叶わずに、5月13日にミューレルは家族とともに日本を去っていった。

 この退団の理由である「家族の事情」だが、一説によると、要因のひとつに1995年4月から柏市が導入したゴミ分別があったという。ゴミ出しルールに厳しい罰則も設けられていた当時、ミューレル夫人のジュサラさんが精神的に弱ってしまい、ホームシックになったからだそうだ。

◆元祖イケメンJ助っ人。引退後にフィギュア選手に転身した「王子」とは?>>

 ミューレル退団後の柏は、カレッカが故障で欠場しがちだったこともあるが、1stステージの残り14試合で3勝11敗と低迷して最下位。ただし、これによってカレッカとミューレルへの依存度の高かったチーム戦略の見直しが図られ、ゼ・セルジオからアントニーニョへと監督交代に踏み切ったことが奏功。2ndステージは5位へと躍進した。

 柏退団後のミューレルはというと、ブラジルに復帰してパルメイラスで2シーズンプレー。1996−97シーズンはイタリア・セリエAのペルージャに所属したが、1997年以降はブラジルのサントスやクルゼイロ、コリンチャンスなどで2004年まで現役生活を続けた。

 振り返るとミューレルが加入した1995年は、Jリーグにやってきた新外国人選手の豪華さが際立っている。鹿島アントラーズのジョルジーニョ、横浜フリューゲルスのジーニョ、磐田のドゥンガ、セレッソ大阪のジルマール......。彼らは1994年W杯優勝メンバーで、この年には名古屋グランパスエイトの新監督にアーセン・ベンゲルが就任している。

 あれから25年。ゴミ分別が当たり前になった今なら、ミューレルのような事態はもう起こらないのかもしれない。

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