「師匠と弟子」。中村憲剛からの宿題に大島僚太は挑みつづける (3ページ目)

  • 原田大輔●取材・文 text by Harada Daisuke
  • 佐野美樹●撮影 photo by Sano Miki

「最初は、僕自身、体が小さいこともあって、相手に潰される機会も多かったので、『周りをよく見ておけ』って言われていたんです。でも、当時の僕は判断が遅くて、それでも潰されてしまっていた。そうしたら『周りを見ておく』の先にある『判断を早くしろ』というのも伝えてくれました。それができるようになったら、今度は『周りを見て、その周りをどう動かすか』とか。一つずつアドバイスをもらえる場合もあれば、2つ同時にもらう時もありました」

「自分が成功しているプレーの大部分は、憲剛さんから教わったもの」(大島)「自分が成功しているプレーの大部分は、憲剛さんから教わったもの」(大島) その光景を想像して、「まるでパーソナルコーチのようですね」と問いかけると、「ボランチで並んでプレーしていた時は、まさにそんな感じだったと思います」と、大島はうれしそうに話してくれた。

「僕がボランチで憲剛さんがトップ下になってからは、(パスの)受け手として、自分に出し手としてのプレーを求めるようになりました。体の向き一つとってもそうですし、自分がやりたいことではなく、相手を見ることも」

「だから」と言って大島はつづけた。

「自分が成功しているプレーの大部分は、憲剛さんから教わったものだと思ってもらえればいいかなと思います」

 中村に近づきたい。中村に認められたい。その思いと、師弟に共通する"向上心"と"負けず嫌いな性格"が、今日の"大島僚太"を築いていった。師匠から課される宿題をクリアするたびに、弟子もまた存在感を増していった。

 中村から引退を告げられた時も、その関係性は変わらなかった。伝えられたのは、師匠から弟子に贈る最後のアドバイスでもあった。

「僚太には、うまいだけの選手じゃなく、怖い選手になってほしい」

 中村から引退を告げられた直後のJ1第25節、FC東京戦だった。前半13分、大島の言葉を借りれば、「憲剛さんが不意にロングシュートを打った」のである。そのシュートはクロスバーに当たりゴールにはならなかったが、大島には感じるところがあった。

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