三笘薫の「止められなかった」少年時代。相手監督もその才能に脱帽だった (2ページ目)

  • 鈴木智之●取材・文 text by Suzuki Tomoyuki

「薫は常に、1学年上のチームで試合に出ていました。当時は11人制でしたので、ポジションは主にボランチをやりましたが、ワイドでもプレーしていました。いまと同じように、ドリブルで相手を抜いていくプレースタイルでした。ジュニアの頃から、相手を止めてずらす、矢印(相手の狙い)を外す、重心を見ながら駆け引きするといったプレーはしていました。相手の逆をとることや、相手を外して自分が優位に立つプレーが好きだったと思います」

 練習前後には、のちにJリーガーになるチームメイトをつかまえて、ひたすら1対1に取り組んでいた。

「ジュニアの時は、1対1の練習をいろいろな局面でやりました。相手を背負った状況での1対1や、どうやって早く前を向いて仕掛けるか、スペースをどうやって使うかなど......。当時から薫は上手なほうでしたし、個人練習ではよく1対1をやっていました。長谷川隼(現・カマタマーレ讃岐)や田中碧をつかまえて、ひたすらやっていた印象があります」

 三笘の1学年下の田中は「薫さん、やりましょう」と言って、1対1を挑んでいたという。

「(田中)碧は薫に対するライバル心があったように思います。それは外から見ていて、感じましたね」

 試合中、ドリブルで奪われても仕掛けるのを止めないので、チームメイトから「パス出せよ!」と言われることもあったというが、簡単には折れず、何度もトライしつづけたという。

「性格は、自分の信念を突き通す頑固さがありました。目標に向かって取り組む責任感があって、負けず嫌い。ジュニアの時から『ドリブルを仕掛けるのはいい。でもボールを取られたら、自分の責任と思って奪い返そう』と言いつづけました。ボールを奪われたら、チームメイトともバチバチやっていましたし、味方に『ドリブルばかりじゃなくて、パスを出せよ!』と言われたら、『なんでだよ!』と言い返すような一面もありましたね」

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