Jリーグ得点王に輝きながら、ベスト11に選ばれなかった選手とは? (4ページ目)

  • 浅田真樹●文 text by Asada Masaki
  • photo by Katsuro Okazawa/AFLO

 続く1995年も、V川崎が依然として実力を発揮。チャンピオンシップで横浜Mに敗れ、3連覇を逃しはしたが、ファーストステージで2位、セカンドステージで優勝と、コンスタントに強さを見せつけた。

 しかし、ヴェルディ時代は、徐々に終焉へと向かい始める。

 初めて1シーズン制で行なわれた1996年、V川崎は7位に転落。カズが初の得点王となり、ベスト11でもひとりで牙城を守ったが、時代の流れを止めるまでには至らなかった。

 その後、V川崎からベスト11に選ばれたのは、1999年の中澤佑二ただ1人。東京ヴェルディとなって以降は、ベスト11どころか、長くJ2生活が続いている。

 V川崎の3連覇が潰えた1995年は、外国人選手の当たり年でもあった。それを象徴するのが、ギド・ブッフバルト(浦和レッドダイヤモンズ)と、ドラガン・ストイコビッチ(名古屋)である。

 1990年ワールドカップの優勝(西ドイツ)メンバーであるブッフバルトは、それまで最下位が指定席だった浦和をファーストステージで3位に導き、得点王を獲得した福田正博とともに、浦和から初のベスト11に選出。

 また、ブッフバルトよりも4歳下のストイコビッチは、30歳だったこの年、名古屋をファーストで4位、セカンドステージで2位へ引き上げると、ベスト11とともにMVPにも選ばれている。

 1995年は2人の他、ビスマルクがベスト11に選ばれているが、レオナルド(鹿島)、サルバトーレ・スキラッチ(磐田)らが選外となっているのだから、どれだけハイレベルな争いだったかがうかがえる。

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