神がかったようにゴールを量産。
サガン鳥栖を新時代に導いた豊田陽平 (2ページ目)
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当時の豊田は、他人を寄せつけない雰囲気があった。2008年北京五輪代表に選ばれ、周りに持ち上げられる状況を経験していた彼にとって、その後、J2のクラブに来たことで変化した周囲に、不信感や警戒心があったのだろう。無骨さが際立っていた。
「マイペースで、少し変わっていますが......」
当時の広報は心配げに言っていた。
だが、不屈さをテーマにした連載で、これ以上の人物はいなかった。
熱い思いを秘めている選手のほうが、そもそも簡単に人とは折り合わない。しかし真剣に対峙すると、懐は深く、広く、人を受け入れてくれるし、むしろ対話を好む。インタビューは一度だけで、その後は2人で会食するような形で話を重ねることになった。意気投合できた。2011年シーズン、チームのJ1昇格に貢献した豊田陽平 取材を続けるなか、豊田は神がかったようにゴールを放り込んでいった。彼が得点するたび、スタジアムの熱も高まって、彼の求心力は増した。法悦とはこれか、と思うような陶酔がそこにあった。
当時、J2のピッチに立つ豊田は、能力的に飛び抜けていた。高さ、走力、そして闘争心をプレーに落とし込め、それによって、迫力満点の動きになった。ユン・ジョンファン監督の、"戦闘"をベースにした戦いの旗手となっていたのだ。
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