ミスター甲府が実感したJリーグの発展「昔のバス移動はつらかった」 (2ページ目)

  • 白鳥純一●取材・文 text by Shiratori Junichi

――練習環境に変化があったのも同じ時期でしたか?

 目に見える変化があったのは2008年、押原公園に天然芝のグラウンドが完成した時ですね。きれいに手入れされた場所で練習できる喜びを感じたことを覚えています。その後も、山梨県や市町村に協力いただき、山梨大学医学部グラウンド(2010年)や韮崎中央公園芝生広場のクラブハウス(2013年)が整備され、現在の環境になりました。

――クラブのさまざまな環境が整えられていくなかで、石原さんが「J1昇格」を意識したのはいつ頃でしょうか。

 2005年シーズンですね。当時の大木武監督(現FC岐阜監督)に「昇格するぞ!」と言われました。それまでは「昇格」を語れるようなチーム状況ではありませんでしたが、大木監督の言葉や、先輩方が作り出してくれる雰囲気に引っ張られ、気がついたら結果を残せていた感じです。

――その2005シーズンは、終盤のデッドヒートや、柏レイソルとのJ1・J2入れ替え戦での勝利を経て、見事に昇格を果たしました。

 入れ替え戦の第2戦は、現役生活の中で最も特別な試合です。この時の柏レイソルは、波戸康広選手、明神智和選手といった日本代表経験者や、元ブラジル代表のフランサ選手といったスター選手が多く在籍していました。チーム存続の危機からたった数年で、タレント揃いのチームを下してのJ1昇格が決まった時は、ただただ信じられない気持ちでした。試合が終わったあと、苦しい思いをしてきた先輩たちのところに挨拶に行って、喜びを分かち合ったことを覚えています。

――その柏レイソルとの第2戦では、甲府のFWバレー選手が、Jリーグ公式戦新記録となる1試合6得点と活躍しました。

 ヴァンフォーレが好調なシーズンはいいFWが在籍していることが多かったですが、この試合は「バレーさまさま」。本当に感謝しかないですね(笑)。

引退試合後、ファンとハイタッチを交わす石原引退試合後、ファンとハイタッチを交わす石原――初めてJ1で迎えた2006年シーズン。石原さんは、第2節のジェフユナイテッド市原・千葉戦で、甲府のJ1初ゴール(堀井岳也)をアシストしていますね。

 そのシーズンはワクワク感しかなかったです。開幕前には「ダントツの降格候補」と予想されていたこともあり、「当たって砕けろ」の気持ちでした。僕もどこかで得点を取りたいと思っていましたが、シュートがそこまで得意ではなかったので、自分がチーム初ゴールを奪うよりは、「初ゴールをアシストしたい」という意識が強かったように思います。

――2006年はJ1残留を果たしましたが、2年目の2007年にはJ2に降格。その後も、引退までに昇格と降格を2度ずつ経験しましたが、「J1残留」を意識するシーズンも多かったのではないでしょうか。

 プロに加入したばかりの頃、「勝ち点を取るためにはどうすればいいか」を必死に考えた経験が、厳しいJ1残留争いを戦ううえで役に立ったように思います。初めて降格した時は、本当に悔しい気持ちでいっぱいでしたけど、「苦い経験を次に生かすためにどうすればいいか」を自分なりに考え、次のシーズンにつなげられるよう努力しました。

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