FW3番手の扱いに佐藤寿人が吐露。「必要としてくれるところへ...」 (2ページ目)

  • 原山裕平●取材・文 text by Harayama Yuhei
  • 藤田真郷●撮影 photo by Fujita Masato

 5月上旬まではACLがあったため、佐藤はこのアジアのコンペティションで起用されていたものの、グループステージで敗れてリーグ戦1本の状況となると、実戦から遠ざかることになる。5月のリーグ戦出場はわずか19分。6月18日の浦和レッズ戦(1stステージ・第16節)で久しぶりに途中出場を果たし、今季2点目のゴールを決めると、試合後のインタビューで堪(こら)えきれずに思わず涙を流してしまう場面もあった。

 佐藤が精神的に追い詰められていたのは、間違いなかった。

 佐藤にも好転のチャンスがなかったわけではない。ボランチや最終ラインにケガ人が続出した状況下で、広島はボランチを1枚削って2トップに変更。佐藤はウタカとコンビを組み、スタメンに戻っていた。もっとも、この応急処置的な布陣変更はわずか3試合で見切りをつけられ、システムが1トップに戻ると、佐藤はふたたび出番を失った。

"エース失墜"の歴史を紐解けば、たとえばヴィッセル神戸に所属していた三浦知良は、2002年の2ndステージから新外国籍選手の加入もあって出場機会の減少とともに得点数が減り、2004年からは途中出場がほとんどとなった。また、ジュビロ磐田の中山雅史は2003年に恥骨結合炎が再発し、以降はケガとともにキャリアを歩んでいくことになった。

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