パリ五輪に向けて山本理仁は燃えている 見せつけたい「逆境を跳ね返す力」

  • 了戒美子●取材・文 text by Ryokai Yoshiko

パリから世界に羽ばたく若武者たち(2)
U-23日本代表MF
山本理仁インタビュー(後編)

◆山本理仁・前編>>久保建英とオリンピックで「一緒にやってみたかった」

 2001年生まれの山本理仁は、世界大会に出場することなく、ここまできた。

 2017年のU-17ワールドカップは、ひとつ年上の2000年1月1日以降生まれが主力だったこともあり一歩届かず。2021年のU-20ワールドカップは、新型コロナウイルスの感染拡大による影響で開催中止。それだけに世代別代表の活動、オリンピックへの思いは強い。

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山本理仁はずっと「世界に出たい」と言い続けてきた photo by AFLO山本理仁はずっと「世界に出たい」と言い続けてきた photo by AFLOこの記事に関連する写真を見る── パリ五輪メンバーにオーバーエイジの選手が選出されなかったことについて、山本選手はどう思いましたか。以前はオーバーエイジについて「気になる」と話していたのが印象的でした。

「もちろん、気にはしていましたよ。真ん中(インサイドハーフ)の選手の名前が何人か上がっていたので、その人たちが入ることによって僕が落ちる可能性もあったわけですから。チームとして考えると、いてくれるのはもちろん心強い。でも、個人としてはやっぱりライバルが増えるわけですから」

── 心中は複雑ですよね。

「僕と(藤田)譲瑠(チマ)は東京オリンピックをサポートパートナーして間近で見ていたので、オーバーエイジの重要さもわかっているんです。チームを引っ張っていた大事な存在であるし、もちろん自分もメンバーに入りたい。複雑な気持ちでしたね」

── 結果的に今回は、同世代で大会に臨みます。

「全員が大岩さんの求めていることを熟知しているし、アジアカップ優勝もグループとして自信になったと思います。ただ、アジアと世界ではたぶん戦い方も変わってくるので、自信を持ちつつも過信をせずに、いい形で入っていけるんじゃないかなと思っています」

── 自信と過信のバランスは難しいですよね。

「過信して相手をナメてかかるような選手は、このオリンピックメンバーにはいないと思います。僕が思うのは『相手をリスペクトしすぎないこと』が大事じゃないかと」

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プロフィール

  • 了戒美子

    了戒美子 (りょうかい・よしこ)

    1975年生まれ、埼玉県出身。2001年サッカー取材を開始し、サッカーW杯は南アフリカ大会から、夏季五輪は北京大会から現地取材。現在はドイツを拠点に、日本人選手を中心に欧州サッカーを取材中。著書『内田篤人 悲痛と希望の3144日』(講談社)。

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