元ヤングなでしこ・田中陽子が振り返る20代 「戸惑った」こともある日本時代、スペインのサッカーは「楽しかった!」 (3ページ目)

  • 早草紀子●取材・文 text by Hayakusa Noriko

【感情を出すことが大事】

――とはいえ、世の中はコロナ禍でした。

 もう、1年目はケガとコロナ禍で終わっちゃって......日本にも帰れないし、人生で一番不安定でした。2年目になると、最初は出場していた試合もなかなか出られなくなって行きました。ボールに触れさえしたら、自分はほかの人との違いが出せるけど、ボールにタッチすらできない状況だったんです。

 その時に「感情を出すことが大事だ」って知り合いに言われたんです。パスをくれなかったら怒るくらい、時には演技でもいい。どうやったらパスがもらえるか、仲間がボール持った瞬間に「くれ!」と意思表示することや、練習時からコミュニケーションを徹底して繰り返してました。

――そこのコミュニケーションはうまくいったんですか?

 いえ、そんな簡単には(苦笑)。時には感情的になる選手もいて、ケンカになったこともありましたよ。最初はコーチが私に怒ってきたんですけど、自分ははただ「こうしたらこうなるよ」って言っているだけで、相手が感情的になってることをよくよく話をしたら理解してもらえました。コーチはこの一件で、自分のサッカーに対する考え方とか、勝ちたいっていう姿勢を受け取ってくれたと思ってます。そのあとからスタメンで試合に出続けて、得点も取りチームも勢いに乗って連勝し、いい結果でシーズンを終えることができました。

――スペインで自身のサッカーにも変化はありましたか?

 ポジショニングはすごく考えるようになりました。味方も相手もフィジカルに長けているので、特長を生かせるようにスペースを見るようにしました。ボールを受けた時は、当たりが強く来る。一発でプレスに来るところを、身体を使ってうまく剥がせたら大きなチャンスになることもあるので、そういう球際での駆け引き能力は上がったと思います。

中編「田中陽子が韓国へ移籍した理由と充実のプレー環境」につづく>>

田中陽子 
たなか・ようこ/1993年7月30日生まれ。山口県山口市出身。中学からJFAアカデミー福島に所属。2010年のU-17女子W杯では準優勝に貢献。2012年INAC神戸レオネッサに入団。同年に日本で行なわれたU-20女子W杯で活躍、3位の原動力となった。2015年にノジマステラ神奈川相模原に移籍し4シーズン半プレー。2019年からはスペインへ渡り、スポルティング・ウエルバ、ラージョ・バジェカーノ・フェメニーノに所属。2022年からは韓国の仁川現代製鉄レッドエンジェルズでプレーしている。

プロフィール

  • 早草紀子

    早草紀子 (はやくさ・のりこ)

    兵庫・神戸市生まれ。東京工芸短大写真技術科卒業。在学中のJリーグ元年からサッカーを撮りはじめ、1994年からフリーランスとしてサッカー専門誌などに寄稿。1996年からは日本女子サッカーリーグのオフィシャルカメラマンも担当。女子サッカー報道の先駆者として、黎明期のシーンを手弁当で支えた。2005年より大宮アルディージャのオフィシャルカメラマン。2021年から、WEリーグのオフィシャルサイトで選手インタビューの連載も担当。

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