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「ピッチに立って戦いたい...とはまったく思わなかった」なぜ明神智和は憧れの舞台・日韓W杯の初戦でそう思ってしまったのか

  • 佐藤 俊●取材・文 text by Sato Shun
  • picture alliance/AFLO

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私が語る「日本サッカー、あの事件の真相」第24回
「8人の明神」と称された男の知られざる苦悩~明神智和(2)

◆(1)明神智和はボコボコにやられたフランス戦後「出ないほうがよかった」と落ち込んだ>>

「明日のスタメンはないな」

 2002年日韓W杯初戦のベルギー戦の前夜、明神智和はそれまでの練習からそう思っていた。

 試合の2日前、明神はサブ組でプレーしていたからだ。トルシエジャパンでは、その日のメンバーが試合のスタメンになることが通例だった。

 ただ、例外もあった。

「2000年のアジアカップ、初戦のサウジアラビア戦の2日前の練習で、自分はサブ組だった。それで、『もうスタメンがないな』と思っていたんです。だから、試合の出発前、いつもはホテルの部屋で昼寝をしているんですけど、『今日は無理に昼寝をしなくてもいいかな』って思っていたんです。

 ところが、ミーティングに行ったら『スタート』って言われて(苦笑)。そういうこともあったので、ベルギー戦(の出場)はたぶんないだろうけど、ミーティングで(先発と)言われるかも......くらいの気持ちではいました」

 2002年6月4日、ベルギー戦。日本代表の指揮官、フィリップ・トルシエがミーティングで名前を告げた右ウィングバックは、市川大祐だった。

 その時、明神は不思議な感情に包まれた。

「いつもなら、スタメン落ちでショックを受けるし、イラッとするんですけど、その時はそういう後ろ向きの感情にはならなかった。出番がきた時にいけるように『しっかり準備しよう』と、自然に思えたんです。

 チームのことを考えて『イチ(市川)でいい』と思ったのか、W杯という舞台にあまりにも緊張して『自分じゃなくてよかった』と思ったのか。今でも自分がそういうふうに思った理由がわからない。こういう感情になったのは、プロになって初めてでした」

 過度な緊張があったのは確かだろう。子どもの頃から憧れていたW杯である。しかも、自国開催でメンバー入りし、その舞台に立てるチャンスを得たのだ。明神は、試合前から緊張と興奮でボルテージが上がり、感情を大きく揺さぶられていた。

「選手が入場して、国歌斉唱となるじゃないですか。その際、僕はベンチの前に立っているんですけど、足が震えて、なんか目の前にいる日本の選手たちが違うチームの選手のように見えたんです。

 いつもなら、自分は『ピッチに立って戦いたい』と思うんですけど、その時は向こう側に行きたいとか、まったく思わなかった。だから、相当緊張して、スタジアムの雰囲気に飲まれていたんだと思います。たぶん、あの状態で試合に出ていたら、緊張でボール回しとかもふつうにできなかったかなって、今でも思います」

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