トルシエ監督が奇策に出た日韓W杯のトルコ戦。戸田和幸は「今だから言えるが、自分を代えればよかった」 (2ページ目)

  • 佐藤 俊●取材・文 text by Sato Shun
  • 藤巻 剛●撮影 photo by Fujimaki Goh

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 トルシエ監督率いる当時の日本代表は、2トップの鈴木隆行と柳沢敦が前から猛烈にプレッシングをかけ、中盤以降の選手もそれに連動してボールを奪い、ショートカウンターからゴールを奪うのが主な攻撃パターンだった。

 ところが、トルコは先制したことで守備を固め、カウンター狙いに徹してきた。その分、日本はこれまでの試合とは異なり、ボールを長く保持できるようになったが、逆に攻撃がギクシャクしていた。

「(日本は)ボールを保持しながら、攻めあぐねていた。僕はその際、『(2000年の)アジアカップを思い出せよ』と思っていました。あの時はボールを保持して攻め、圧倒的な強さを見せて優勝した。つまり、ボールを保持して攻めることができていたわけじゃないですか。それができるチームだし、その流れを思い出せば、と思っていましたね。

 あと、もうひとつは今だから言えることですが、僕を代えればよかったんですよ」

 戸田は、冷静な口調でそう言った。

「ボールを保持できていたし、そこからもう一歩先に進んで点をとるためには、自分を下げて攻撃的な選手を入れるべきでした。ベンチには森島(寛晃)さん、(小笠原)満男、福西(崇史)もいた。

 僕は、自分が試合に出ても勝てないと意味がないと思っていたし、トルコ戦は(僕を)代えることで点をとれる可能性があった。僕が監督なら、たとえ2点目をとられるリスクがあっても(点を)とりにいきます。だから、自分は点をとるためには"いらない"と思いました」

決勝トーナメント1回戦、トルコに敗れて悔しさを露わにする戸田。photo by Press Association/AFLO決勝トーナメント1回戦、トルコに敗れて悔しさを露わにする戸田。photo by Press Association/AFLOこの記事に関連する写真を見る

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