日本代表がブラジルW杯で惨敗した理由。平穏すぎたザックジャパンの4年間 (3ページ目)

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki
  • photo by JMPA

【本田圭佑、香川真司のピークは2011年】

 岡田ジャパンは最後の半年間で失速。岡田監督の進退問題に発展したことは、前回の記事で触れたとおりだが、ザックジャパンの場合は、ラスト半年間で何も起きなかった。

 対戦した2試合とは、取り壊される前の旧国立競技場で、さよならイベントとして行なわれたニュージーランド戦(3月5日)と、日本を発つ直前に壮行試合として行われたキプロス戦(5月27日)だ。

 こう言ってはなんだが、わずか2試合しか戦わないのであれば、相手は厳選すべきだった。弱すぎる相手とのホーム戦。マッチメイクに問題があることは明白だった。世界のサッカーカレンダーは確かに年々、立て込んできていた。相手探しは簡単にはいかない。Jリーグの日程も絡んでくる。だが、たとえば隣国の韓国は、その間にガルフカップに参加していた。

 2013年、技術委員長から専務理事に昇格していた原博実氏に、筆者がそのあたりを追及したところ、「韓国はベストメンバーを送ったわけではない。大会に出場し、コンディションを崩した影響で、本大会で力が出なかった」と返してきた。だが、常識的に考えて、2試合はやっぱり少なすぎるし、ニュージーランドとキプロスは弱すぎる。失速した原因と言われても仕方がない。くり返すが、こちらにはその4年前が懐かしい思い出として蘇ってくるのだった。

 もっと言うならば、攻撃的サッカーをコンセプトに掲げながら、その特色を、ザックジャパンが本大会で全く発揮できなかったことも問題だった。「方向性は間違っていない」と、原氏は毎度、口癖のように語ったが、こちらが問いたかったのはディテールである。攻撃的サッカー対攻撃的サッカーの時代に、方向性は間違っていなかったと言われても、そんなアバウトな物差しでは勝ち目がないと言いたくなった。

 ザッケローニにとっての誤算は、本田圭佑と香川真司が所属クラブで活躍できなくなっていた点だ。両選手ともピークは2011年だった。アジアカップでMVP級の活躍をした本田はその後、ケガに泣いた。気の毒なくらいパフォーマンスを低下させた。

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