駒野友一が日本代表ベストゲームに挙げた南アW杯のカメルーン戦。会心の勝利をもたらした闘莉王の言葉 (5ページ目)

  • 浅田真樹●取材・文 text by Asada Masaki
  • photo by Jinten Sawada/AFLO

 日本はその後、決勝トーナメント1回戦でパラグアイと対戦。互いにゴールを許さない熱戦は、スコアレスのまま延長戦でも決着がつかず、PK戦の末、日本は初のベスト8進出を逃すことになる。

 しかも、勝負を分けたPK戦で、両チームを通じて唯一の失敗は駒野。「今も忘れられない瞬間です」。日本の快進撃は、非情な結末で幕を閉じた。

 本人の記憶によれば、PKを失敗した経験は「高校生の時に1回だけ」。あえてゴール上方向の難しいコースを狙ったのも、精度の高いキックに定評がある駒野であればこそ、だっただろう。そんな選手がただひとつのミスを犯すのだから、PK戦とは皮肉なものだ。

 日本の敗退が決まった瞬間、駒野はその場で泣き崩れた。体に力が入らず、両脇を支えてもらわなければ、歩くどころか、立ち上がることもできなかった。

「その時は悔しすぎて、顔を上げることができなかった。誰かが横についてくれていることはわかっていたんですけど、正直、それが誰かはわかりませんでした」

 駒野がその「誰か」を知ることになるのは、しばらくしてからのことだ。

 ふと目にした写真に映っていたのは、目を真っ赤にはらした自分に寄り添う松井大輔と阿部勇樹。小学生時代から互いを知る、1981年生まれの3人が並んでいた。

 駒野がうれしそうに、それでいて少し照れ臭そうに、口を開く。

「やっぱり同級生っていいな、と思いましたね」

(つづく)

駒野友一(こまの・ゆういち)
1981年7月25日生まれ。和歌山県出身。サンフレッチェ広島ユースからトップ昇格を果たし、主力選手として奮闘。以降、ジュビロ磐田、FC東京、アビスパ福岡を経て、2019年に現在所属するFC今治へ。年代別の日本代表でも活躍し、2001年ワールドユース選手権(現U-20W杯)、2004年アテネ五輪に出場。A代表では2006年ドイツW杯、2010年南アフリカW杯に出場している。国際Aマッチ出場78試合、1得点。

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