宮間あやが忘れられない澤穂希の言葉。ドイツW杯直前に「今獲らなきゃいつ獲るの?」 (5ページ目)

  • 早草紀子●取材・文・写真 text&photo by Hayakusa Noriko

――今だから聞きたいことがあります。自身の向上を考えたらアメリカで、もう一度プレーする道もあったと思うんです。でも、日本に戻ってきてからは最後まで岡山湯郷ベルというチームを選びましたよね。自分のプレーのギアアップと、若手選手の引き上げの両立は簡単ではなかったですよね?

「日本にいても成長はできると思いました。だって対戦相手はみんな自分たちよりも強いチームばかりでしたから。そのためにしたことは、スポーツ科学的に言うと間違ってるのはわかっているんですけど、休まなかった。止まるのが怖かったんです」

――それでも最終的にリスペクトするアメリカのサッカーに身を置く決断はしなかった。

「毎年毎年めちゃくちゃ悩んでいましたよ。正直サラリーもめちゃくちゃいいですし(笑)。でも今思うと、多分自分は日本のためにサッカーがしたかったのかなって思います。日本代表がすべてだったから」

――代表チームは日頃一緒にプレーできないから、意識を合わせるのも苦労があるじゃないですか。

「苦しいですよ。意思の疎通は取れないし、練習もキツイ(笑)。でも代表チームはリスペクトする場所でなければいけないと思います。自分が日の丸の役に立てないなら外されるだけで、現役でいる限りはそこで戦いたいと思ってました。その想いに濃淡はあるだろうけど、そういうものだと思ってましたし、今でも思ってます。これは最初に代表に入った時に教わりました。今のなでしこジャパンのコーチの大部(由美)さんに」

――彼女は今もそれを伝えてますよ。そういう想いがあるからあの献身的なプレーにつながるんですね。では最後に。改めて今、あの大会はどんな大会だったと感じますか?

「一番応援してもらえた大会でした。負けてもおかしくない試合も実際ありましたよね。東日本大震災があったということもありますが、本当にいろんな人の力が働いていることを感じる大会でした。そして、あの大会があったからこそ、どんな状況になっても絶対に信用できる仲間を得られました。これに尽きます」

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