日本代表で本田圭佑の2倍、大迫勇也の4倍。存在自体が「戦術」だった釜本邦茂伝説
今日4月15日は、日本サッカー史上最高のストライカー、釜本邦茂の誕生日だ。日本代表Aマッチで挙げたゴール数は、本田圭佑(ネフチ・バクー)の2倍、大迫勇也(ブレーメン)の4倍。「今、日本代表でプレーしていたら」と妄想せずにはいられない、圧倒的な記録とプレーぶりである。今回はそんな不世出の選手のすごさを改めて振り返る。
◆ ◆ ◆
日本代表で断トツの75ゴールを決めている釜本邦茂 3月30日のモンゴル戦で、サッカー日本代表は14ゴールを決めて大勝したが、日本代表の最多得点記録には、わずか1点届かなかった。
最多得点記録は、1967年9月27日のメキシコ五輪予選フィリピン戦で記録した15得点だ。その試合でダブルハットトリック(1人で6ゴール)を記録したのが日本サッカー史上最高のストライカー、釜本邦茂だった(当時のオリンピックは年齢制限のないフル代表によるAマッチだった)。
ちなみに、この予選大会で日本は韓国と3-3で引き分けて勝点で並び、得失点差でオリンピック出場権を獲得した。翌年のメキシコ五輪で日本は銅メダルを獲得することになるのだが、釜本の6ゴールがなかったら、それも幻に終わっていたかもしれないのだ。
日本代表ではAマッチだけで75得点を記録。2位三浦知良(横浜FC)の55得点、3位岡崎慎司(ウエスカ)の50得点を大きく引き離している。しかも、Aマッチが少ない時代だったので、釜本は76試合でこの記録を達成しているのだ(つまり、1試合1得点ペース)。
また、当時の日本代表にとっては、来日するヨーロッパや南米のプロクラブとの対戦も大きなイベントだったが、釜本はアーセナル(イングランド)やパルメイラス(ブラジル)といった強豪からも、コンスタントに得点を記録している。68年のアーセナルとの試合で、右サイドのクロスをニアサイドに飛び込んで、ダイビングヘッドで決めた釜本のゴールは語り草だ。
75年に来日したバイエルン(ドイツ)戦では2試合戦って完封されたが、釜本はのちに「対戦したなかで最も印象に残っているDF」としてバイエルンのハンス=ゲオルク・シュヴァルツェンベック(西ドイツ代表=1974年ワールドカップ優勝メンバー)の名前を挙げている。
1 / 3