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日本代表で本田圭佑の2倍、大迫勇也の4倍。存在自体が「戦術」だった釜本邦茂伝説 (2ページ目)

  • 後藤健生●文 text by Goto Takeo
  • photo by AFLO

 67年のフィリピン戦で1試合6得点を記録した釜本だったが、当時はまだ彼の全盛期ではない。その後、68年1月から短期留学した西ドイツの1.FCザールブリュッケンでユップ・デアヴァル監督(後の西ドイツ代表監督)の指導を受けると、ゴール前のスピードを身に着けて一段と凄みを増した。

 同年10月のメキシコ五輪では、初戦のナイジェリア戦でいきなりハットトリックを達成。開催国メキシコとの3位決定戦でも2ゴールを決めるなどして銅メダル獲得に貢献し、自らも大会得点王に輝いた。

 釜本はメキシコ五輪直後に行なわれた世界選抜にも選出されたものの、結婚式を控えていたために出場を辞退。2年後に同じメキシコで開催されるワールドカップ出場を目指したが、予選を前にウイルス性肝炎を発症。釜本を欠く日本代表はアジア予選敗退に終わってしまった。

 また、その全盛期にはヨーロッパの強豪クラブからのオファーもあったというが、釜本は日本に留まることを選択した。もし、全盛期の彼がそうしたオファーを受け入れて世界の舞台で戦っていたとすれば、世界中どこの国のどんなクラブに加わっても大活躍できたはずだ。

 得意の得点パターンはドリブルで持ち込んで、右45度の角度から繰り出す強烈なシュートだった(相手チームのGKが手を負傷して交代を余儀なくされたこともあった)。だが、DFが右足でのシュートを警戒していると、左足でも正確にコースを狙ったシュートを決めることができたし、強靭なフィジカルを生かした滞空時間の長いジャンプからのヘディングシュートも強烈だった。

 右足でも、左足でも、そして頭でも。どこからでも点が取れる、まさに本格的、総合的なストライカーだったのだ。

 そんな選手だったから、僕が最もよく覚えているのは、71年のトッテナム(イングランド)戦で釜本が放った強烈なヘディングシュートである。「決まった!」と思った瞬間、トッテナムのGKパット・ジェニングス(北アイルランド代表)が横っ飛びしてそのシュートをはじき出したのだ。「ワールドクラスのGKというのは、あの釜本のヘッドも防げるのか」と感心したものだ。

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