「自分たちのサッカー」を披露。彼らは「史上最強」の日本代表になった (2ページ目)

  • 浅田真樹●文 text by Asada Masaki
  • photo by Kaz Photography/Getty Images

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 当時の状況を簡単におさらいしておこう。

 2010年のワールドカップ・南アフリカ大会が終わり、新たにアルベルト・ザッケローニ監督が就任した日本代表は、初陣でいきなり強豪アルゼンチンに勝利。翌2011年1月には、カタールで開かれたアジアカップで優勝を果たしている。

 ところが、同年3月に東日本を襲った未曾有の大震災が発生。Jリーグが中断を余儀なくされるなか、日本代表も7月のコパ・アメリカを出場辞退せざるを得なくなった。

 9月にはワールドカップ予選(アジア3次予選)が始まるというのに、震災後に日本代表が行なった試合は、チャリティーマッチを除けば、6月のキリンカップ(ペルー、チェコと対戦し、いずれも0-0)のみ。ザックの十八番であった3-4-3に初挑戦した2試合は、試行錯誤の連続でスッキリしない内容に終わっていた。

 そして迎えたのが、この韓国戦である。

宿敵・韓国を翻弄した一戦。同ゲームで2ゴールの活躍を見せた香川真司宿敵・韓国を翻弄した一戦。同ゲームで2ゴールの活躍を見せた香川真司 この試合、再び4-2-3-1に戻した日本は、「相手の脅威になるパス回しができた」とDF今野泰幸が話していたように、CBの今野とDF吉田麻也から効果的な縦パスが、中盤、あるいは前線へと次々に打ち込まれ、日本はチャンスを作り出した。

 劣勢に立たされた韓国は、前半10分を過ぎたあたりから試合の流れを察知し、明らかなカウンター狙いに転じたが、それでも日本は、韓国守備網の切れ目を見逃さず、有効な縦パスを何本も通した。

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