稲本潤一が明かす、ドイツW杯と
南アフリカW杯は何が違ったのか (2ページ目)
「(南アフリカW杯では)試合に出たかったけど、チームを勝たせることとか、『前回(ドイツW杯)のような失敗をしないように』という意識のほうが強かった。いい選手がいくら集まっても、ドイツの時のように(チームが)なったら勝てへんからね。
岡田さんからは、とくに何も言われていないけど、(自分は)能活さんを中心に(チームの)士気を下げないこと、チームを盛り上げていくこと――そういう仕事を求められているんやな、というのはわかっていた。それが苦じゃなかったのは、30歳になって、尖っている自分がなくなっていたのもあるけど、前回の経験と(その後の)4年という時間を過ごして、日本代表というチームを広い視野で見られるようになったのが大きいと思う」
ドイツW杯と南アフリカW杯、それぞれの違いについて語る稲本潤一 稲本が「チームのために」という仕事に意欲的だったのは、「ドイツW杯の悪夢を繰り返さない」という思いが強かったからだが、チーム内における自らの序列や、当時のチーム状況も影響している。
ボランチは、長谷部誠と遠藤保仁が主軸としてプレー。彼ら以外にも、中村憲剛、阿部勇樹、今野泰幸ら力のある選手が控えていた。
また、チームはW杯前から結果を残せず、停滞ムードにあった。メディアやファンからも厳しい声が聞かれ、選手たちも「このままでは(W杯で)勝てない」という不安を抱えていた。
そのため、稲本は自らのことより、まずはチームのことを優先した。
「この時のチームはドイツW杯の時と違って、大会前の調子がめっちゃ悪かったからね。事前合宿に入ってからも、選手を入れ替えたり、システムを変更したり、チームがガチャガチャしていて、選手の間でもかなり危機感があった。そういう状況で、選手同士が争っている場合じゃない。
それに日本人って、危機感があるほうが団結するじゃないですか。昨年のロシアW杯の時も、そうだったと思うんですよ。とにかく、危機感を前にして、試合に出られない不満とかなかったし、勝つために『チームを盛り上げてやっていかなあかん』って、(自分は)そのことばかり考えていた」
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