2019.04.23

現在会社員の「黄金世代」。
氏家英行の野望とチームメイトへの思い

  • 佐藤 俊●取材・構成 text by Sato Shun
  • 甲斐啓二郎●撮影 photo by Kai keijiro

「図南から話があった時、(自分の中には)いつか自らがマネジメント、もしくは指導するチームをJリーグに上げてみたい、という思いがあったんです。

 そして、その思いを頭の片隅に置きつつ、チームに入ってプレーしていくなかで、自分は指導者になりたいのか、経営者になりたいのか、それとも違う道に進むべきなのか、ずっと考えていました。最終的に、自分はサッカーを教えるのが好きなんだ、というのをあらためて実感し、指導者の道に進もうと決めたんです」

 2007年からはコーチを兼任し、2014年には監督代行も務めた。そのなかで、チームは県リーグから関東2部、関東1部へと昇格していった。

 そして2014年のシーズン後、氏家は草津からヘッドコーチの打診を受けた。トップチームのヘッドコーチは、指導者の道を歩むことを決めていた氏家にとって、魅力的なオファーだった。

 そこで、氏家はある決心をする。

「2014年シーズン限りでの現役引退を決めました。さすがに(Jリーグのクラブでは)プレーしながらヘッドコーチはできないですし、その仕事をきちんとやり遂げたいと思ったからです。

 それに、同期のみんなはまだJリーグでプレーして活躍していた。そこで自分は方向転換して、みんなよりも早くS級(ライセンス)を取って、指導者になるか、マネジメントをできるようになろう、と思ったんです」

 新たな目標のため、氏家は潔くスパイクを脱いだ。

 ヘッドコーチとなった1年目、氏家はワールドユースを一緒に戦ったメンバーのひとりと仕事をすることになる。

「(永井)雄一郎に声をかけたんですよ。あいつは、ケガばかりして(当時は関西1部リーグの)アルテリーヴォ和歌山でくすぶっていた。それで、実際に会って、話をして、雄一郎から『やりたい』という思いが伝わってきたし、俺も『(永井と)一緒にがんばりたいな』って思った。でも、チームに入れてあげたわけじゃなく、草津には永井雄一郎が必要だから来てもらったんです。